10月19日(土) 神野直彦さんの考えその2
10月19日(土) 神野直彦さんの考えその2
その後、ついでに、神野さん関係の記事をさがしたら、すぐに見つかった。そこで、ここに載せることにした。
(耕論)「自立支援」何のため 神野直彦さん、江藤修さん、佐藤きみよさん
2018年2月3日05時00分
介護保険の見直しで「自立支援」を進める事業者への報酬が手厚くなる。社会保障の「自立支援」とは、だれのため、何のための支えなのか。そもそも、人間にとって自立とは何か。
■コスト削減、無言の圧力に 神野直彦さん(日本社会事業大学学長)
先日、病院の待合室で、おばあさんに話しかけられました。「生きるって大変なことですね。運動したくなくてもしなくちゃいけない」と。
高齢者が増え、医療や介護に大変な費用がかかる。だからお国のために元気でいるか、早く死んでください。僕も70歳をすぎ、骨折のリハビリをしていますが、そんな圧力をひしひしと感じます。
高度成長期のころまでは、家族や地域という共同体が残り、知恵や経験をもつ高齢者は尊敬される存在でした。サービス産業の時代に入ると、すべてのものが市場にのせられ、共同体は失われていきます。労働力としての市場価値でみれば、高齢者はむだなコストになってしまいました。
年をとって生理的に不全を起こしているから、もとに戻してあげようとする。最期までその人らしい生活を送るために本人が望む限りは、いいことでしょう。でも、国がコストを考えて一律に「自立」といって進めようとするなら、問題です。政府の会議でも何度か発言しましたが、医療費がかさむから早く退院させるのと同じです。
人間は、一人では生きていけません。人間らしく生きていくという目的のため、集まって社会をつくります。なのに人間を経済の手段としか見なさない傾向が、強くなりすぎていないでしょうか。一人一人をかけがえない存在としてとらえず、労働力としての手段としか考えていない。
人間は、ともに生きているという実感を失うと、他者への関心が薄れてしまう。ネットワークをつくることで自立し、自立するほど連帯する生き物なのです。共同して困難を乗り越えるしくみを意識的に張り直すことが、個人の自立にもつながるはずです。
100歳になった父親は認知症で、もう動くことができません。93歳の母親もほとんど歩けない。2人の希望で在宅で介護をしています。大変ですが、恩返しでもあり、僕の喜びでもある。しかし、融通が利かないいまの介護保険は、あまりに使いにくい。介護の世界に、購買力に応じてサービスやものを配る市場原理をとりいれたことが、疑問です。社会は営利組織ではありません。介護が必要な人を支えるなら、必要性に応じてサービスを配るべきです。
市場とは別の形で進めている国もたくさんあります。スウェーデンでは、職業をもつ人の32%が国と地方をあわせた公務員で、地方公務員の4割、全体の8%にあたる人は主に現場で高齢者ケアにあたっています。日本は公務員すべてで6%しかいません。
もともと家族や地域でやっていたことを、どう共同サービスに変えていくのか。「お上(かみ)」が決めることではありません。お金を出しているのは、国民なのですから。
(聞き手・山田史比古)