子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月14日(木) はじめての裁判所の傍聴

11月14日(木) はじめての裁判所の傍聴

君が代裁判の傍聴

 11月11日透析を終えて、すぐに自宅に帰った。それは、かねてからこの日は、東京高等裁判所に傍聴で行くことになっていたのである。それは、河原井純子さんの連れ合いの今井秀郎さんからぜひ傍聴に来てほしいと前から手紙で依頼されていたからである。西日暮里から千代田線に乗り、霞ヶ関につき、そこから5分ほどのところに裁判所はあった。午後3時からの開始であったが、10分前に到着した。入り口のドワーのところに、河原井さんが立っていてくれた。手を振ってあいさつをして、すぐに中に入った。
 傍聴席は、空いている席は、ほとんどなく、やっと空いている席に着いた。着席すると、河原井さんと一緒に陳述書を読み上げる根津さんが、私の顔を見るなり、陳述書を渡してくれた。私にとっては、初めての傍聴である。裁判のやり方を学ぶのにも、いい機会であった。3時の開始になって、裁判長が、正面のドアから重々しく入ってきた。
 裁判が始まった。この日は、陳述書を読み上げる日であった。
 お二人は、現職中に、卒業式入学式の君が代斉唱の時に、着席したまま歌わずに座っていたのである。私も、現職中は、これほど激しく闘わなかったが、2013年10月21日(月) 東京都教育委員会が卒業・入学式などで「日の丸・君が代」を強制する通達が出された。それまでは、わりと自由に取り組んでいる職場が、残っていた。全員が、着席したまま、演奏だけ聴いてる時期もあった。それが、この通達によって、かなり厳しくなった。私は、マスクをして式に出席した。もちろん、君が代斉唱の時は、マスクをして、だまってみていた。最後に校歌斉唱の時には、そのマスクを外して、大きな声を出して歌った。そういうときにも、この2人の人たちは、自分たちの意志を貫き、座ったままでいた。すると、最初は、戒告処分された。次も不起立を貫くと、定職処分になり、3ヶ月、6ヶ月と重くなっていった。その次は、「免職」という道切り残されていなかった。しかしながら、そのようなことが考えられたが、2012年東京高裁は、「停職1ヶ月処分」について、①国家賠償法上の違法性を認定し、②東京都教育委員会の「過失」を認容しました。この判決が、最高裁判所第2小法廷が、東京都の上告受理申立を「不受理」とすることによって確定しました。さらに、    2015年5月28日の控訴審判決で、損害賠償請求が認容されました。しかし、その後この判決と真逆の判決がなされました。そういう情況で、今回の裁判が行われているのです。大変厳しい中での裁判です。お2人陳述書を読み上げて、今回は終了しました。次回は、12月18日(水)に行われ、最後の結審は、来年の3月までの中で行われるそうです。

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