子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月24日(火)老人ホームへの感謝の手紙

11月24日(火)老人ホームへの感謝の手紙

                             

まどか中浦和の皆様へ

 この度は、母の思い出の写真を送って下さり、ありがとうございました。1枚1枚の写真を見ながら、その時々の元気だった頃の母の姿が、蘇ってきます。母の所に訪れた方が、私の知らないところで、ずいぶんお見えになっていたんだなあと、その写真を見ながら、思い出します。まどかの方々とのスナップも、たくさんの方々にお世話になったんだなあと改めて、感謝の気持ちになります。8年前の2008年3月より、2015年の7月21日まで、7年間5ヶ月の間、母は、幸せでした。住んでいた自宅の近くにあったことでもあり、最初は、よく家に帰って必要な荷物を持ち帰ったり、だんだん荷物が増えていき、皆様には、ずいぶんご迷惑をおかけしました。まだ元気だった頃は、浦和の駅まで歩いて出かけたりして楽しんだりしておりました。
 1年間の年間計画を思い出すと、様々な催し物をして下さり、あの忙しさの中で、いつ練習するんだろうと、感心すことばかりでした。クリスマス会の時に、楽器の演奏を職員の皆様がやっている姿を拝見し、ただただ、頭が下がりました。あの時の、母達の笑顔を今、思い出しております。
 大腿部を骨折して、もう寝たきりかなあと考えていましたが、リハビリの訓練を手術の次の日から初めて、母の努力もあり、寝たきりにならずに、奇跡的に回復していきました。さすがに、車椅子に頼るようになりましたが、又、普通に会話を楽しみました。
 なくなるまでの1年間は、次第に母の衰えを感じてきました。それは、普通の食事が食べられなくなり、次第に流動食に切り替わってきたときに、食事の風景を拝見させていただき、ただ頭が下がりました。
 おかげさまで、下の世話などほとんどしないで、皆様にずっとめんどう見ていただきました。
 その後、何度か、入院したりしましたが、そのたびに所長さんはじめ皆様方に大変お世話になりました。
 この度は、母の昔の同僚の正木欽七さんを、まどかにご紹介して、入居できたと、ご本人から電話連絡がありました。本当に良かったです。機会があったら、正木さんにお目にかかりに行きます。
 返事が遅れ、失礼しました。皆様方のご健勝を、心よりお祈りします。
2015年11月25日 故榎本稲子の長男、榎本豊より

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