子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月26日(火) 神野さんへ御礼の文

11月26日(火) 神野さんへ御礼の文

 この度は、本当にお忙しい中、我々のささやかな研究会に来ていただき、貴重なお話をしていただき有り難うございました。しかも、大嘗祭という大きな行事にもかかわりながら、その間を縫って、来ていただいたのだなあと、つくづく感じました。1日でもずれていたら、この会には、来られなかったのではないかと、お話を伺いながら、受け止めました。しかも、体調のあまり良くない中、申し訳ない気持ちで聞いておりました。しかしながら、話が始まると、そのようなことなど感じられないような話しぶりで、次々と展開していく話しぶりに、こちらが元気をもらうような感じでした。
 私なりに、今回の話を伺いながら、感じたことをまとめてみます。

子どもの詩

 最初に出された、「子どもの詩」に学ぶという、スウェーデンの中学校の教科書からの引用は、我々教師だけでなく、すべての大人は、学ばなければならない真実の詩です。しかも、現在の天皇が、皇太子時代に神野さんが、直接講義をしたと言うことに、参加者も驚かれたと思います。子供を育てている、今、子育て中の大人の人が読んで欲しい詩です。

「家族」が出発

 次に出された、「家族」が、すべての出発であり、そこから、親近感、思いやり、連帯感、相互理解を感じていきます。ここのところが、きちんと出来ていることが、大事だと言うことは、参加者が、みんな感じたところでした。神野さんが、たくさんの著書の中で、いつも根底のところにあるのは、家族を愛するところから出発していると言うことでもわかります。

経済学は悲しみを分かち合うために

 最近送って下った「経済学は悲しみを分かち合うために」の中でも、最初のところに出てくる文章に、私の心は奪われました。「夜遅くかえると『お母さんが待っているわよ』と妻の和子が、私に声をかける。母の居室に行くと、薄明かりの電灯の下で、93才になった母が炬燵にうずくまるように座っている。母の小さき後ろ姿に改めて驚きながら、私が声をかけると、母は振り向き微笑む。」
 ここの文章を読むと、私は涙を抑えることが出来なかったです。小学校の時に、5,6年同じクラスで一緒だった頃、授業参観が学期に2回くらいありました。後ろを見ると、君のお母さんは、いつもニコニコと私たちをながめていました。しかも、人一倍若く美しかったです。私の母は、現役の小学校の教師だったので、めったに参観には来られませんでした。あの若々しかったお母さんが、あれから64年近く経ったんだと自分に言い聞かせます。
 君のお母さんより5才年上の私の母は、もうこの世の人ではなくなりました。95才にあと1週間前に、旅だちました。今でもこのようにして、親孝行の出来るあなたをうらやましくも感じます。どうぞ、お母さんをいつまでも、あたたかく繋がっていて下さい。あなたが小学校の時に、遊びに行って帰るときに、自転車の鍵がなくなって夜暗くなるまで見つけて、結局見つからないまま帰ってきたときの話が、心に残る話です。そのとき、ずっと遅くなるまで待っていたお母様は、あなたを抱きしめて、遅くなった理由を聞いて信じられないほどつよく叱りました。「何が大事なのか考えなさい。お金で買えるものには価値がないと。自転車はお金で買えるでしょう。そんなもの捨ててらっしゃい。」「おまえの帰りが遅いために、どんなに心配したかわかりますか。私に心配をかけないことの方が大切でしょう。」と叱られたと書いてありました。ここのところも、印象に残っている部分です。母親は、いくつになっても、子供は子供なのです。ありがたいことです。

聞き書きの勧め

 私も、母が90才近くなったときに、母の生い立ちを聞き書きしていたときに、結婚して2人の子供が出来て、私が3才頃に離婚したときの話を、はじめて語りました。ずっと胸の中につまっていたのでしょう。そのときの話は、私には、驚きでした。これからどう生きていくかわからなくなり、2才下の弟を背中に、わたしの手を引いて、歩いていたときに「豊さんの一言で我に返ったんだよ。」と話してくれました。それは、星のきれいな晩でした。「おかあちゃん、星がきれいだね。」という私のひとことで、よからぬことを思い留まったと言うことです。その話は、初めて聞いた話で、母がずっとしまい込んでいたのでしょう。あの時、昔の母の歴史を聞いていて、それを簡単な冊子にしてまとめ3回忌の時に出席者に配りました。神野さんも、お忙しいと思いますが、ぜひ、お母様の歴史を聞き書きなさることを勧めます。もっと聞いておきたかったことが一杯ありますが、今はそれは出来ません。

子供への虐待

 今巷では、オレオレ詐欺などは、まさしくお年寄りの「思いやり」を逆手にとって、金をだまし取るなどは、最低の人達です。このようなことが、スウェーデンの中学校の教科書や社会科の教科書に載っていることが、値打ちものです。子どもたちが、オギャーと生まれた家族が崩壊されている子どもたちが、この日本にいると言うことです。今現実に起きている、子供への虐待、経済的貧困による育児放棄などの事件が、連日のように起きています。

チリのクーデター

 1973年9月11日に起きた地理のサルバドーレ・アジェンデの暗殺が、新自由主義時代の幕開けでした。これを境に、世界が市場原理主義が世界に輸出され、世界的危機の始まりでした。そのことを具体的に示唆してくれたのは、神野さんの恩師宇沢弘文先生でした。以後、その考えは、1979年のイギリスのサッチャー政権、1981年のレーガン政権、1982年の中曽根政権へ繋がっていきます。日本の現在は、小泉政権、安倍政権と引き継がれています。ますます、格差社会はどんどん拡大していってます。

自分の国が良ければ

 軽工業基軸の工業社会から、1929年の世界恐慌を経て、重工業基軸の工業社会から、ソフト産業基軸の知識社会へと移行しています。その中で、経済成長の変化を見ると、日本がいかに低成長であったかがわかります。それに引き換え、アメリカは、どんどん伸びています。それ以上に伸びているのが、中国です。やがて、このグラフから、中国が、アメリカを追い抜いていくことは、時間の問題です。今問題になっている、「米中問題」は、経済の発展している同士が、相手を貶めるために色々な言い争いをしているように見えます。特に、アメリカが、様々な点で、発展しているとはいえ、かってのアメリカほど豊かになっていないのです。しかも、自分の国では、貧困者が増え続け、格差社会は、広がっています。そのイライラを、世界中を相手に、自分の国さえ良ければいいと、環境問題しかり、平和問題しかりで、脱退しています。その中でも、対中国の貿易は、あまりにも問題点が多いと攻撃していますが、中国もそれに張り合っています。

アベノミックスの失敗

 貧困率の国際比較を見ると、世界の中で貧困率の高い国は、アメリカ、日本、韓国、ギリシャ、スペイン等の順に高いです。逆に貧困率が低いのは、北欧3国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー)です。このグラフから、アメリカは、経済成長は、著しく発展しているが、経済格差は、大きく広がっています。日本は、経済も発展しないのに、格差は広がっていると読めます。その原因は、何か。それは、日本の税金制度に大きなゆがみがある気がします。金持ち優遇の税体系だからです。金持ちは、ある程度の金持ちになれば、税金の取り立てが、一律低くなっています。また、法人税がどんどん低くなっています。大企業が、優遇されすぎているのです。昔は、賃金が低い労働者は、税金は低かったのです。今現在は、年収200万円以下の労働者が、2000万人もいます。その人達は、ほとんど正社員でなく、非正規労働者です。期限付き労働者だから、いつ首になるか、戦々恐々として過ごしています。年2回のボーナスだってありません。これは、小泉政権の時に作られた、「派遣法」という正社員を減らす法律が通ってしまったのです。

自己責任というやな言葉

 新自由主義によって、共同体的人間関係が解体されている部分は、現在の私たちの現実を見ると、よくわかります。「自分さえ良ければ」という利己的な人が増えてきています。しかしながら、台風の被害があれば、ボランティアの人がたくさんそこに参加して、被災者を勇気づけている記事などを読むと、まだまだ捨てたものではありません。一時、イラクなどの取材に出かけた従軍記者が、つかまってその後、殺されたり、釈放されたりした事件がありました。日本に無事に帰ってきたその人達に、「自己責任」と言って、日本中がバッシング状態になったときがありました。この事件なども、その典型でしょう。

これからどうすれば

 これからの世の中は、「悲しみの分かち合い」としての社会サービスが本当に大事になっていきます。貧困や虐待から子供を保護する。今現在時々起こっている児童虐待は、大きな社会問題になっています。子供が亡くなってから、ああじゃないかこうじゃないかと色々延べあっているが、その前に子供をきちんと保護するシステムを確立することです。それはこどもの権利を親の権利より高く位置づけることです。この考えは、痛いほどよくわかります。
 では、未来はどのように描いたらいいのでしょうか。生活水準の上昇から生活様式の充実を求めることです。豊かさから幸福へ、ここのところも大事な指摘です。

幸せの追求

 私が現場の教師をしていたときに、子どもたちに様々な教科を教えていく中で、「人間が幸せに暮らせるように」と言うのが大事な視点でした。「幸せの追求」この考えがいつも根本のところにありました。幸せの反対に対局するのは、「戦争」です。この戦争を憎む思想を、子どもと一緒になって考えあいました。私の教育実践の柱になっていたのは、戦争体験の聞き書きでした。低学年では、平和教材の絵本を読み聞かせたり、その感想を考えあい、最後はそれをまとめてもらったりしました。
 そのためには、幸福の実感を常に感じるようにすることというのは、よくわかります。自然との関係を充実させることもその通りです。こういう欲求を、制度として確立することが大切になってきます。

今起きているさくらを見る会

 それは政治の力が大切です。民主主義が今こそ大切になってきています。しかしながら、今の安倍政権からは、何の期待も持てません。この数年間の出来事は、呆れる出来事の連続です。政治家の不祥事が次々と起きています。その都度、説明責任を唱え、自分に大きな責任を感じますと、言葉だけを連ねておしまいです。今回のさくらを見る会の出来事は、まさに安倍総理自身の問題です。国会できちんと説明しなければならないのに、いっこうにその態度を明確にしておりません。もう、間違いなく税金の使い方の違法性があります。前日に行われた前夜祭で参加費が5000円というのも怪しいです。そういうおかしなことを追求する前に、すべて破棄しているのです。証拠隠滅です。どこを取っても疑いだらけです。しかし、ここのところ、それを取り上げるマスコミの勢いがなくなりつつあります。

終わりに

 色々書いてしまいました。
 わざわざ「経済学は悲しみを分かち合うために」の本を6冊も持参して下さり有り難うございました。2次会の時に、20人近くの人が残ってくれたので、その本をジャンケン大会を開いて、分け合いました。手に入れた人は、大喜びでした。どうも有り難うございました。あとでネットで調べてみると、「神野直彦講演会謝礼」と言うのを見たら、最低でも30万とかいてありました。その10分の1で勘弁して下さい。
 どうぞ、お体を大事に、これからもお過ごし下さい。奥様、お母様を大切にして下さい。本当に有り難うございました。

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