子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

12月3日(木) 治安維持法の亡霊

12月3日(木) 治安維持法の亡霊

学術会任命拒否

 亡くなる1年前に、国分一太郎は「小学教師たちの有罪」(みすず書房)という本を書いた。その本を改めて読み直してみた。彼を治安維持法で逮捕した特高砂田周蔵のことが、最初から書いてある。特高になる前の砂田は、国分と同じ山形の出身で、国分より4才年上である。農民運動に力を注ぎ、彼の演説には、4,5百人の農民が集まったという。やがて徴兵検査を受け、満州に渡り何年間か過ごし郷里山形に戻ってきたときには、山形県警特高主任警部補になり、国分の教育実践を徹底的に弾圧し、虚構の調書を作り上げ犯罪者にした。砂田の調書のとらせ方がうまいので、全国の綴り方教師を弾圧逮捕する参考にしたようだ。事実全国の多くの綴り方教師が逮捕された。この戦争に負けて、牢屋にしばれれていた多くの人たちが解放され、国分も自由の身になった。しかし、多くの教師がそうであったように、職を失いもとに戻れないものも数多くいた。一方治安維持法という法律で守られていた特高は、公職追放という処罰を免れ、警察官のまま残ったものが多かったという。砂田周蔵もどんないきさつかわからないが、アメリカに留学しそれなりの資格を得て、警視庁に入り、公安関係の道を歩みそれなりに出世していく。新聞記事にも載り、亡くなったのが、1969年8月3日元警察学校警備教養部長とあり、警察功労罪問題賞も受けていると書かれていた。  

民主主義の再生のために

 今、話題になっている「学術会議任命拒否」問題の裏で動かして、総理大臣に進言している杉田博内閣副官房長官であると言われている。公安畑を歩んできた杉田氏は、公安畑の大先輩の砂田周蔵を知っている可能性がある。いずれにしても、安倍政権からずっと関わり、教育基本法改悪、安保の海外派遣拡大、共謀罪成立とすべてに関わった杉田氏を国会に呼び、今回の任命拒否を明らかにすべきである。

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