子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

12月8日(木)13年前のこの日に

12月8日(木)13年前のこの日に

忘れてはならない日 榎 本  豊

またまた12月8日がやってきました。
もう62年前にさかのぼらなければ、その日の出来事は重ならないのです。
その当時は、どんな時代だったのでしょうか。
それは、日本の国が、世界の国を相手に、どんどん戦争を拡大していった日なのです。
1941年12月8日アメリカのハワイの真珠湾(しんじゅわん)を攻撃(こうげき)した日です。
日本人のほとんどの人は、この日を忘れてしまっています。
海の向こうのアメリカのハワイの人々や
本土のアメリカ合衆国(がっしゅうこく)の人々は、忘れていないのです。
人のいじめと同じです。
「いじめた」方はすっかり忘れてしまっても、
「いじめられた」方は、いつまでもそのことを覚えているものです。
日本人が、8月6日や8月9日や3月10日の日を忘れられないようにです。
しかし、月日が過ぎ去ってくると、
広島原爆投下(げんばくとうか)の日、長崎原爆投下の日、東京大空襲(だいくうしゅう)の日を忘れてくるのです。
でも、この日は、ぜったい忘れてはならないのです。
6月23日や8月15日も、忘れてもらいたくない日です。
沖縄(おきなわ)では、6月23日を休日にしています。
それは、アメリカ軍14万人が、日本軍11万人とが激戦(げきせん)をしました。
沖縄戦の戦いを終えて、負けた日なのです。
この戦いにとって、沖縄住民の3分の1の十余万人が亡くなりました。
沖縄の戦いでなくなった人は、兵隊さんをふくめると20余万人です。
広島では24万人、長崎は7万人、東京大空襲は10万人の人が亡くなりました。
福地義直さんは、爆心地(ばくしんち)から8百メートルのところで被爆(ひばく)して、奇跡的(きせきてき)に助かった人です。
今まで沈黙(ちんもく)していましたが、原子爆弾の模型(もけい)を作り、「広島被爆の語り部」になられています。
君たちは、福地さんの4時間の語りを「聞き書き作文」としてまとめました。
全員の人が、真心(まごころ)込(こ)めて、すごい文章にしあげました。
この18人の文章は、どこへ出してもはずかしくない迫力(はくりょく)のある文章でした。
今、この地球のどこかで、あらそいごとが起きて、
多くの人々の命が、いとも簡単(かんたん)になくなっています。
イラクの国では、アメリカ軍の兵隊さんが、毎日のように尊(とうと)い命を落としております。その兵隊さんは、国に帰れば、子供や奥さんや恋人の、良き父であり、夫であります。
将来を幸せに生きていく権利を、途中からあっさりと切られてしまったのです。
今年の五月から、今までに350人前後のアメリカの兵隊さんが亡くなっています。
一週間前、とうとう日本人の二人の外交官が、車で移動中殺されました。
力で押さえつければ、必ず力で返ってくるのです。
一日も早く、話し合いをして、この問題を解決すべきなのです。
その話し合いをする場所は、国際連合というところが、
アメリカ合衆国のニューヨークにあるのです。
2003年12月8日墨田区立立花小4年1枚文詩集「はらっぱ」より

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