子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2006年作文の会への原稿

2006年作文の会への原稿

「いつも考えていること」を題材にして書くときの作文の指導

東京都墨田区立堤小学校  

一 はじめに

「ある日、ある時の一回限りの出来事を、ていねいに思い出して書かせる指導」は、小学一年生から、六年生まで大切にして取り組ませたい方法である。それは、表現力の乏しい子でも、書き方さえ身につけさせていけば、しっかりとした文章になっていくのである。それは、出来事の順に「・・でした。」「・・ました。」と、過去形を中心とした書き方で書いていけばいいからである。この書き方を身につけたならば、四年生の後半あたりから、「いつも型」とも言われる、まとめて説明するような、やや難しい表現方法も身につけさせたい。

二 いつも考えていることを新聞に投稿してみよう

 ここでは、「いつも考えていることを説明風に書く」ことに取り組ませ、その指導過程にそって、書いてみたい。

1、「表現意欲の喚起」の指導

 次の文章は、同じ本人が六年生になった日に家にかえってから書いたもの(①「ある日型」)、児童代表で六年の初めに自分の今までの気持ちを、まとめて書き、新年度の始まりの始業式の日に、児童代表として話した時の原稿(②「いつも型」)である。次のような話し合いをさせて、題材への関わり方のちがいについて理解させていく。

①始業式の日の宿題    六年  B(男子)

 四月六日、家に帰ってしばらくして、母が帰ってきたので、さっそく宿題をすることにしました。その日は始業式で、あったことを家に帰って話すという宿題がでたのでした。ぼくが、
「今日あったことを話すのが宿題だって。」
と、言うと、母は、
「じゃあ、話して。」
と、言いました。そこで、ぼくは、
「担任やっぱり榎さんだった。」
と、話しました。すると、母は、
「うん、担任のことは、かつ(弟)が言ってた。よかったね。」
と、言いました。ぼくが、
「学級崩壊でもない限り、五年から六年になるのは確実なんだって。でも、演 出してたらしい。」
と、言うと、
「やっぱり。何かわざとらしいと思っていたんだよね~。」
と、母はうなずいていました。(後半略)

② 六年生になって    六年 B(男子)

 ぼくは、今六年生になって、少し緊張しています。それは、一学年ずつ進級した二年から五年のみなさんも同じだと思います。ぼくが緊張しているのは、最高学年ということで、委員会やクラブ、学校行事などで下級生をリードしていかなければならないからです。今までは、前の六年生が頼もしくリードしてくれていました。ぼくたちも、それを見習って緑小を引っ張っていきたいです。 今、入学したころのことをふり返ってみると、みんな小さかったんだなとしみじみ感じます。それが、学校でいろいろなことを教わり、心も体も成長して知識も豊富になりました。今までの五年間はとても短く感じられます。
 今年の六年生は、今まで仲がよく、チームワークもいいクラスでした。なので、そのことを生かしてもっといいクラスにしていきたいです。
 今年も、運動会、学芸会などいろいろな行事があります。ぼくたちは、最上級生として、それらの行事を作り上げていきたいです。
 ぼくたちはもうあと一年もすれば卒業です。六年生では、粟野移動教室などもあるので、そのような場で友達との交流をより深めて、悔いの無いように小学校生活を終わりたいです。
P =生徒 T=教師
P1①は、始業式の日の一回限りの出来事を書いているが、②は、五年間の のやや長い間の度重なる出来事をふり返りながら、書いている。
P2①は、「・・でした。」「・・ました。」と過ぎ去った言い方で書いているが、②は、「・・です。」「・・ます。」と説明形の書き方になっている。
P3①は、一回限りの出来事を、ていねいに思い出して書いていけばよいが、②の方は、何回も何回も関わっていた中から、感じたことをまとめて書いている。②の方が、①より書き方としては、難しい。
T そうですね。日記などの文章は、その日や二~三日前の出来事を書いているので、①の方の文章が中心でした。これからは、②の方の書き方でも、ずっと心に強く感じていることを、まとめて説明するように書いてもらいます。皆さんが、五年生の時から、ずっと続けている「新聞の切り抜き帳」に書いている感想は、②の書き方が多かったですね。

2「取材・題材」の指導

 新聞の投書欄の文章を持ってきて、その題材や書き方について学び合う。字数は決まっており、五百字程度の中に、簡潔に自分の考えをまとめているので、題材探しや記述の仕方の参考になる。ある程度なれてきたならば、「新聞の切り抜き帳」を作り、心に残った事は、感想を書かせる。出来れば、自分の生活とつなげて考えられるようなまとめ方をさせるように仕向ける。
 「十二月八日とは」「雨水を流すのは、モッタイナイ」「 弱い者ねらった犯罪が身近に」「子に戦争の話を読み聞かせたい」「西日本の脱線事故」「担任は生徒の名前を覚えて」「靖国神社問題」「渋沢栄一・経営者の理念」このような題名だけを並べて、題材は、色々なものが転がっていることを知り、あとはそのことに関心を持って、心を通わせることによって、値打ちのある題材を選ぶ力をつけていく。

変な日本語表現 六年 女子

 今は、大人でも言葉をまちがえる人がいます。レストランの従業員は、「ご注文は、以上でよろしかったですか」ではなく「ご注文は、以上でよろしいですか。」と聞くはずです。子供にばかり言うのでなく、自分のことは、自分で大人も気づいて正しい日本語を使うようにして欲しいです。
読売新聞 六月一日 投書欄

雨水を流すのは、モッタイナイ 六年 男子

 この記事を見て、地球温暖化という事実を思い出しました。墨田区の雨水再利用は、行政側も力を入れております。緑小学校も雨水を再利用して、トイレの水に使われています。一般の家庭も雨水をためる桶を設置すれば、費用を行政から補助されます。少しの雨水もたまれば、資源になります。太陽光発電も良いと思います。すべてのうちの屋根などに取り付けたら、とても大きい資源になります。そんな世の中が実現してほしいです。
毎日新聞 八月十七日 投書欄

十二月八日とは 六年 男子

 この日が、太平洋戦争の始まりの日であったことを忘れてはならない。この戦争によって、日本の他に、朝鮮や中国、東南アジアなどに多くに犠牲者が出ている。日本では、治安維持法などの法律によって、自由でも制圧された。このようなことがおこらないように、「日本国憲法」の第九条ある。この憲法を大切にすることで、二度とこのような戦争をおこらないようにしたい。
読売新聞 十二月九日 「よみうり寸評」

小泉政治の本質 歴史家色川大吉の文章を読み  六年 男子

 働くことがなく金がもうかる勝ち組が、おごり高ぶっていれば、その分、国民の道徳観は薄れます。また、靖国神社参拝を小泉首相は、どう見てもそうとは見えない「犠牲者を鎮魂するために」という口実をつけてやっています。国の代表者としてあるまじき態度です。代表者なら、そういう批判に真っ向から勝負してしかるべきです。支持されていることを、自分が正しいことだと、勘違いしては困ります。 東京新聞 十二月十二日

 最初は、短い感想であったが、次第にくわしい文章になっていく。週に一~二回の提出であったが、その日のうちに赤ペンを入れて返す。子供らに新聞の記事への関心と題材への関わりや感想の書き方を、理解させていく。記事の取り上げ方やまとめ方のよいものは、みんなに紹介したりした。

3「構想・構成」の授業

 構想表を元に、書き出しを大切にする。文章を書くには、必ずきっかけがあるので、そのことを意識して書くようにさせる。小見出しを入れて書くと、さらにまとまりのある文章になる。ここでは、時間の順序や事件の進行に従って、「はじめ」「なか」「おわり」と、ことがらを配列するのではない事を指導する。

4「記述」「推敲」の授業

 今まで新聞の記事などを参考にして、記事の読み方、感想の書き方を学んできた。今度は、実際に新聞社に自分が日頃感じている題材を考えて、自分の意見をまとめてみる。今回は、それを各自がとっている新聞社に送ることを話してからはじめた。新聞社の投書の字数が決まっており、そのことも話して、何字以内にまとめるようにさせた。(四百字から五百字程度)

祖父と父のたばこをやめさせたい   6年 男子 

 僕の父は、たばこが大好きです。それ以上に祖父も大好きです。一日に二箱以上吸うときもあります。なぜ好きなのかは分からないけど、「パチンコをやめても、たばこはやめない。」と言い張ったほどです。それでも僕は、祖父と父にたばこをやめてほしいです。たばこは人にとって毒だし、本人以外の人にもめいわくだからです。
 たばこの煙りを吸うと、肺が黒く汚れてしまうので、肺ガンになったりします。家の中のカーテンを見ると、いつもうす黒く汚れています。部屋の中だと、煙でせきがでてしまいます。外でたばこを吸っていると、どうしてもポイ捨て等をしてしまいます。それなのに、祖父と父はたばこを吸うので、やめなきゃいけないです。たばこを吸っていると、肺ガンになって死んでしまう人が年々増えています。だから僕がたばこをやめてもらいたいのは、祖父と父に、ものすごく長生きしてくれたらうれしいからです。
2005.2.21(火)毎日新聞掲載

 推敲は、書いた作品をまず読み直しをさせた。授業で取り上げるときは、推敲前の作品と推敲後の作品を比べながら、どこがどのように深まったかを検討させたい。特に「説明的な文章」になっているかどうかを吟味させたい。なお、その際には、文を削る、加える、改行などの印も教えたい。

3「鑑賞」の授業を大切にする

 卒業文集は、六年間の締めくくりの文章を書く。その中には、これまでの学習をいかして、「ある日型」「いつも型」のどちらでも構わないが、出来たら、「いつも型」に挑戦するように仕向けた。その結果生まれた作品を鑑賞した。

あこがれの将来と自分の病気 墨田区立緑小学校 六年 女子   

糖尿病と出会う

 私は四才のときに、「インスリン依存性糖尿病」が発症しました。インスリン依存性糖尿病(IDDM)は、子どもに発症が多く、何らかの原因で、インスリンが作り出せなくなったためにおこります。インスリン依存性糖尿病は、子供一万人に約一人います。一九九四年(その時は一才)は、インスリン依存性糖尿病患者が二千六百十二人います。私は風邪をひいて、病院で血液検査をしたら、四日後にでた結果で、インスリン依存性糖尿病だということが判明しました。のどがかわき、やせて、とにかく大変でした。

一万人に一人

 母の話によると、近くの小児科に何度か相談に行っても、ストレスとか、弟ができたため、お母さんに対して注目して欲しいという気持ちから、そういう症状が出ることがあると言われ続けていました。しかし、どう考えても普通ではないと感じ、他の病院で検査を依頼しました。四日後、病院から連絡をもらったとき、まさかと思っていた病名を耳にして、一瞬信じることができませんでした。何かの間違いであってほしいと思いました。専門の病院を紹介して頂き、即入院することになった時、担当医の先生からは、子供一万人に約一人という発症率と聞きました。どうしてその中に入ってしまったのだろうと悩んだ日が続き、自分のすい臓と、取りかえられるものなら、取りかえたいと思いました。

辛い入院生活の中でも

 9月4日から順天堂大学病院に入院しました。この頃は、毎日二回インスリン注射を打って、コントロールしていました。血糖値は七回はかっていて、今では考えられないくらい多い数でした。点滴も一日に一回打っていました。痛くてたまりませんでした。採血では注射器の針が太かったため、苦い思いをしました。そんな中、心を和ませてくれる時もありました。私は大部屋で入院生活をしていたので、隣の子といつも遊んで、たくさん笑って、楽しんでいました。ほかに、売店に行ったり、散歩に行ったりしていました。九月二十日に退院しました。やっと家に帰ることができて、とてもウキウキしていました。四才、六才、八才のときに血糖値が下がりすぎて(低血糖)けいれんを起こし、救急車で運ばれました。今は、自分でコントロールできるのでこの通り元気です。

最近思うこと

 最近注射を打ったり、血糖値をはかったりすると思うことがあります。針を使わないで、インスリンを取る方法がないのかなぁと思うのです。前に母から、
「インスリンを注射で取るんじゃなくて、ちがう方法で取る研究してるんだっ て。でも、実験台になる人がいないから困っているらしいよ。」
と聞いて、私は少し興味を持ちました。将来、医師になりたいと思ったのも、このときでした。医師になって、インスリンを注射以外で取る方法を研究するチームに入るのが、私の夢です。医学のことをたくさん勉強して、多くの患者さんを助けたいです。

いつまでも病気と一緒に

 私は、八年間、インスリン依存性糖尿病と一緒に生きてきました。ときには、低血糖になったり、救急車で運ばれたり、大変だったこともありました。でもこの病気のおかげで、自分の夢はどんなものがいいか見つけることができました。これから先、どんな病気になるのかわかりません。しかし、それを乗りこえて、自分の夢に向かって進みたいです。

この作品を鑑賞する

 作品に書かれている題材や「ものの見方・考え方」(生活のしぶり)や「細かい書き綴り方」(書きぶり)のすぐれたところや文章の組み立て方(構成)等を鑑賞した。
①十二年間ずっと関わってきた病気のことを、説明するように書いている。
②説明の文章の中に、ある日の出来事を、わかりやすく挿入して書いている。
③「はじめ」は糖尿病との出会いから書き、「なか」はこれまでの悩み続け た病気と向き合ってきたこと、そこから自分の将来は医師になること「おわ り」は、病気と闘いながら、自分の夢に向かうという結びでまとめている。
④これからは、説明するような関わりを題材に、時には書いてみるとよい。

4 おわりに

 「いつも型」の書かせ方が、「ある日型」よりむずかしい書かせ方である。いきなり「いつも型」の文章を書かせることは、勧めない。高学年になっても、作文をあまり書いてないクラスであったならば、まずは、「ある日型」の文章を何度も書かせることを大事にしたい。しかし、ある程度「いつも型」になれてきたら、時にはこの書き方にも挑戦させたい。長い間関わったことがあれば、どのように構成を立てるかと、出来事の順とはちがった文章の書き方が学べるのである。また、一回限りの出来事の文章を書いていくときに、必要に応じて説明形の文章を挿入するときにも、手際よくできるようにもなる。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional