子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月21日(月)古舘さんの最後の抵抗

3月21日(月)古舘さんの最後の抵抗

3月18日(金)の古舘さんのニュースステーションは、すばらしかった。友人の鈴木健治さんが、その内容を全部テープ起こしをして、私に送ってくれた。拡散して広めようと言うことなので、そのまま彼の努力を、ここに載せておく。
*【報道ステーション】2016.03.20(金)テープ起こし 鈴木健治

独ワイマール憲法の”教訓” なぜ独裁がうまれたのか? 古舘伊知郎

 朝方の雨が上がりました。そのせいか大分人通りが多くなってきた感じがします。そして、私が立っている後ろ、「国民劇場」です。今夜は、ゲーテの「ファウスト」が上演されるということですが、この向かって左手の人物が、その文豪ゲーテ。そして、右側があの年末、第九の「歓喜の歌」の詩人、シラーです。見たところ、シラーがゲーテに軽く突っ込みを入れている感じがします。
 さて、第一次世界大戦後、今から100年近く前に、当時世界で最も民主的と言われたあの「ワイマール憲法」がこの劇場でまさに制定されたのです。第1条はもちろん、「国民主権」。そして、男女平等。思想信条の自由。その基本的人権を尊重する。日本国憲法も大きく影響を受けたわけです。

「ワイマール憲法」の制定

 さて、このプレートに、そうです。1919年8月11日。ドイツ国民はこの場所で「ワイマール憲法」を制定したとしっかり書いてあります。ただ、ここでちょっと見てもらいたいものがあります。カメラさん、引いて頂けますか。これが今の国民劇場の前の広場。同じ場所ですが、トンと飛んで、これ1926年のこの広場です。ワイマール憲法制定からわずか7年後のこの1926年、ナチスの第2回党大会が開かれている様子です。
 アドルフ・ヒトラー、ナチ、国民社会主義ドイツ労働者党を率いて、独裁体制のもと、第2次大戦を引き起こして、ユダヤ人の大量虐殺という大惨事を生んだ。でも、ヒトラーというのは軍や、クーデターで独裁を確立したわけではありません。合法的に、実は実現しているんです。実は、世界一民主的なはずの「ワイマール憲法」の1つの条文が独裁に繋がってしまった。そして、ヒトラーはついには、「ワイマール憲法」自体を停止させました。だから、先ほどのこのワイマール憲法制定のプレート、これも親衛隊に一時、外させています。今のプレートは、戦後また同じものをかけ直したというわけです。
 ヒトラー独裁へのいきさつというものを振り返っていくと、まあ日本がそんな風になるとは到底思わない。ただ、今日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなきゃいけないポイントがあるんです。

経済対策と民族の団結を前面

 ワイマールの町を代表するホテル。ホテルエレファントです。このホテルをとてもヒトラーは気に入ったといいます。 最終的にこのホテルはナチが経営していたんです。2階には、かつてナチが会議室に使っていたという部屋があります。ここです。今はきれいに改装されて、客室になっています。そして、続きにバルコニーがあります。ヒトラーは、このバルコニーに出て、パレードを謁見していた。当時のドイツは、第1次大戦に負けて巨額の賠償を抱え込んだ。しかし、経済においては、いったんは立て直すことができた。
 その後です。世界恐慌が起きてしまった。失業者が町に溢れた。さらには、失業していない人々の心の奥にも(失業への恐怖)というものが渦巻いていた。そういう中でヒトラーは、経済対策と民族の団結を前面に打ち出していった。そして、表現がストレートだった。「強いドイツを取り戻す」「敵はユダヤ人だ」と憎悪を煽った。演説が得意だった。ヒトラーというのは。反感する言葉を、人受けする言葉に代えるのがうまかった。例えば、「独裁」を「決断できる政治」「戦争の準備」を「平和と安全の確保」といった具合です。

アドルフ・ヒトラー

「平和を愛すると共に、勇敢な国民になってほしい」「この国を軟弱ではなく、強靱な国にしたいのだ」「この道以外にない」
 ヒトラーの腹心、ヘルマン・ゲーリングも、後にその手法を語っている。
「国民は、指導者たちの意のままになる。それは、簡単なことで、自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。」「平和主義者に対しては、愛国心がなく、国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法は、どこの国でも同じように通用する。」
 ヒトラーの息づかいはどんどんどんどん大きくなっていった。ただ、ドイツの憲法は、世界一民主的な、あの「ワイマール憲法」ですよ。独裁なんてものが許されるわけはないんです。じゃあ、ヒトラーは、どうしたんだ。実は、使ったのは、「ワイマール憲法」の第48条「国家緊急権」というやつなんです。これがポイントです。

ヒトラーに独裁の道

 これは、国家が緊急事態に陥った場合に、大統領が「公共の安全と秩序」これを回復するために必要な措置を取ることができる。大統領がなんと一時的には何でもできちゃうという条文だったわけです。この条文が実はヒトラーに独裁の道を開かせてしまった。
 じゃ、なんでそもそもこの条文が入っていたのかといいますと、憲法を当時作った人たちがですね、国民の普通選挙による議会制民主主義というものを、実はまだ完全には、信用してなかったんですね。国民の男女平等選挙による議会というのは、初めてのことですから、言ってみれば憲法を作ろうとしていた人たちが、まさにこのぎっしり詰まったソーセージのように、疑いをぎっしり詰め込んでいたということなのです。

「国家緊急権」 

 庶民は、全く信用されてなかったということなんですね。でも、ヒトラー以前には、この条文は何回も、実は使われていたのです。議会が紛糾して、全く動かなくなる、さあ、どうしよう、法律を通さなくてはいけないというときには、何回もこれは使われていた。
しかし、ヒトラーは、完全にこれを悪用したということなのです。
 ヒトラーは、権力掌握のために、「国家緊急権」をどう巧妙に使ったのかという点です。
 1933年です。念願の首相に任命されたヒトラーは、議会で多数を取るために、すぐに議会を解散しました。そして、選挙に向けて互いに利用し合う関係にあった当時のヒンデンブルク大統領を動かした。そう、共産党が全国ストを呼びかけていた。それを見るや、国家緊急権を発動させたんです。

あらゆる基本的人権を停止

「集会」と「言論の自由」を制限。政府批判を行う政党の集会や、デモ、出版をことごとく禁止した。そして、それからおよそ3週間経って、また、立て続けに「国家緊急権」を発動します。有名なベルリンの国会議事堂が放火されるという事件が起こった。一節では、ナチの自作自演だという話もありますが、ヒトラーはこの事件を共産党の国家転覆の陰謀として、またも「国家緊急権」を使ったわけです。今度は、あらゆる基本的人権を停止した。司法手続きなしで逮捕もできるようにしてしまった。野党は、もはや自由な活動はできなくなりました。

弾圧された人々の子孫の話

 当時、お父さんが野党の市議会議員だったローラ・ディエールさん、95歳です。父は社会民主党の集会に参加しました。しかし、二度と戻って来なかった。ナチは家の中を荒らしまわりめちゃくちゃにしました。当時は(メディアも含めて)思っていることを口に出すことは許されなかった。ナチはそこを最も重視していました。ナチ政権について思っていることなど、誰も口にできませんでした。」
 当時の共産党の党首も突然逮捕され、(ドイツ共産党エルンスト・テールマン(党首))
後に殺害されました。
 そのお孫さんです。(ヴェラ・デーレ・テールマンさん59)
「共産党の党首だった祖父が逮捕されたことで、母は学校でナチを支持していた女の子から殴られました。その後、母も祖母も逮捕されてしまいました。母は強制収容所に連行され、拷問やひどい暴力を受けました。民主的に選ばれた政権であっても、憲法の条文によって独裁者に変わる可能性があるんです。この歴史を二度と繰り返してはいけません。」
 当時のドイツの政情は、左翼勢力、右翼勢力の対立が激しくなって、各地で暴動や反乱が繰り返されていた。非情に不安定だった。そんな中でヒトラーの国家緊急行使を後押ししたのは、保守陣営と、そして財界でした。財界も、何もナチのこと好きじゃなかったけれども、何よりも共産主義勢力の盛り上がりを怖がっていた。
 憲法裁判所、もと判事のグリム教授の話です。(ドイツ連邦憲法裁判所ディーター・グリム元判事79)
 「ヒトラーは国家緊急権で自由を廃止し、野党の息の根を止めました。それが民主主義と議会の終焉につながったのです。この憲法でまさか独裁者が誕生するなど思いもしなかった。でも実際に独裁者は誕生した。それは想像を超える世界でした。
 さあ、野党が自由を奪われた選挙ですから、ヒトラー率いるナチ党はいよいよ議席を増やして仕上げにかかろうとします。恫喝と懐柔策を駆使して反対派を従わせて、議会の三分の二までを押さえて成立させたのが、あの「全権委任法」です。国会の審議を経ずに政府が憲法改正まで含めてすべての法律を制定できてしまう法律です。この瞬間、世界一民主的な憲法の下で、合法的に独裁が確立したのです。

ヒトラー

「私やナチを疑うのは頭がおかしい者か、ホラ吹きくらいの者だ。我々はドイツのために戦う。断固として戦わねばならないのだ。」
 ワイマールの市街地から15分ほど車で来た小高い丘の上なのです。まるっきり別な世界に迷い込んだようです。ここは、ブーヘンヴァルト強制収容所です。ここには、25万人のユダヤ人の方々が収容されました。そして、また同時に、ナチが敵と見なした共産党始め、ナチが敵と見なした方々もここに入れられました。正面は何も見えませんが、ここに多くの収容所がありました。その跡地です。ここは、人体が解剖された部屋です。ここにキルがありました。ここは、多くの方々の遺体が焼かれたところです。多くの方が犠牲になりました。

いいや、あなたたちは、知っていた

 これがその時の映像です。アメリカ兵がこの収容所を初めて見た時に、言葉を失ったそうです。腐乱した死体があちこちに散らばっている。中庭には遺体が積み上げられている。
生き残った人たちも、体にほとんど肉がない。骨と皮だけの状態だった。この惨状を見た連合軍は、ワイマールの市民をここに連れてきて見せた。その時の様子を撮影していた女性カメラマンが後にこのように記しています。
「女性は、気を失った。男たちは顔を背けた。あちこちから「知らなかったんだ」という声が上がったそうです。しかし、収容者たちは、怒りをあらわに叫んだ。
「いいや、あなたたちは、知っていた。」
 ここまでは、80年前のドイツで起きてしまったことです。当然、日本でこんなことが起きるなんて考えられません。でも、気になることがあるんです。

自民党の「憲法改正草案」

 これは、自民党が発表している「憲法改正草案」ですが、ここには、「緊急事態条項」という条文が書き込まれていますね。今年、7月の参院選で与党が圧勝して、三分の二の数を取るとなると、日本でも「憲法改正」というものがより現実を帯びて参ります。その時、遡上に上がるとされているのが、今言った「緊急事態条項」なんです。ここで言う「緊急事態」というのは、「大規模な自然災害」だけでなく、「外部からの武力攻撃」「社会秩序の混乱」などと位置づけて、この緊急事態の際に、ここです。
「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と規定しているのですね。そこで、最後に、ワイマール憲法研究の権威である、ドイツのドライヤー教授に日本の緊急事態条項についてそれを見て頂きました。(ワイマール憲法に詳しいイエナ大学 ミハエル・ドライヤー教授)

民主主義の基本は「法の支配」「人の支配」ではない。

「この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。一見、読むと無害に見えますし、他国と同じような緊急事態の規則にも見えますが、特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。このような権力の集中には、通常の法律よりも多くのチェックが必要です。議会からの厳しいチェックができないと、悪用の危険性を与えることになります。
 なぜ一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか。首相が(立法や首長への指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出までできる。民主主義の基本は「法の支配」で、「人の支配」ではありません。人の支配は、性善説が前提となっているが、良い人ばかりではない。民主主義の創設者たちは、人に懐疑的です。常に権力の悪用に不安を抱いているのです。権力者は、いつの時代でも常にさらなる権力を求めるものです。日本はあのような災害(東日本大震災)にも対処しており、なぜ今この緊急事態条項を入れる必要があるのでしょうか。」

内閣総理大臣の権限

 さあ、ここからです。ドライヤー教授も、議会のチェックが弱いというニュアンスを懸念されているところがあります。これに関して、自民党にどうなんでしょうかと聞きましたら、「国会での丁寧な合意形成に真摯に取り組んでゆく」という回答を得ました。
そして、後にありますのが「自民党の憲法改正草案」ということになります。そして、こちらに、「Q and A」 形式になりまして、この憲法草案の質問、それに対する答え、こういう分厚いものが用意されています。
 ちょっとこちらをご覧下さい。まず、98条の方ですが、「改姓草案」の「緊急事態」の「事前、または事後に、国会の承認を得なければならない。」と、こうはっきり書かれている訳なんですね。で、この「Q and A」で、それに相当するところをより桑空く見てみると、「国会による民主的な統制の確保の観点から緊急事態の宣言には、事前または事後に国会の承認が必要であると規定した」と書かれたある点。それから、もう一つですね。99条に移りますが、「法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」という、さきほど、VTRの中でもここをポイントとして指摘致しました。
 これに関して、やはりこちらも押さえておきますと、その具体的な内容は、法律で規定することになっているために、政令といっても、内閣総理大臣が何でもできるようになるわけでは決してありません」とはっきりここに書かれています。
 これを踏まえた上で専門家の長谷部さんに伺いします。
 あの、ひとつ、ワイマールを大急ぎで言ってきたりして、いろいろモヤモヤするのは、ですね。何回も再三再四、申し上げたようにですね、ヒトラーが日本で出てくる、あのような人間。到底想定なんかできないんですが、将来ですね、とんでもない人が、ヒトラーじゃなくても、とんでもない人が出てくる可能性がないと否定するわけにはいかないと考えると、立ち止まらないといけないところが数点あると思うのですが、いかがでしょうか。

長谷部恭男さんの解説

憲法学者、元東大法科大学院、著書に「憲法で民主主義の論じ方(対談)」早稲田大学教授、長谷部恭男
「え~と、まず、この「自民党の改憲草案」、「緊急事態条項に関する問題点」ですが、ほかの憲法の緊急事態条項と比べてもですね、発動の要件、つまり宣言するときの要件がどうも甘すぎるんじゃないのかと。まあ、確かにその「武力攻撃」とか「大規模な自然災害」、例示はあるんですが、ただ結局のところは、法律に丸投げしているんですね。どういう場合に宣言ができるのかを。
「法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」しかも、それは、「首相が特に必要があると認めれば。」これは客観的というよりか、内閣総理大臣がそう思えば」という、主観的な要件になっています。ここが非情に甘いなと思われるところですね。それから、先ほど古館さんがご指摘の通り、この宣言が出されますと、その後に内閣というのは、法律と同一の効力を持つ政令をだせるということになります。法律というのは、いろいろ重要なことをきめていますしね、例えば、身柄を拘束される場合、あるいは、刑事裁判はどう行われるべきか、これは「刑事訴訟法」という法律で決まっているもので、それを制令で変えられるということになりますから、そうなりますと、これは、「人身の自由」というのは、他の基本的な人権、全てを支えているものでして、それが制令によってどうなってしまうのか、場合によっては、令状なしで怪しいと思えば拘束されると。そんなことにもなると、理屈としてはあり得るということのなります。

裁判所のコントロール?

 戦後、ずっと生きてきた感覚で言いますと、もっと私より上の方も含めてでしょうけども、昔と違いますので、今急に身柄拘束、疑わしきは全部とっつかまえちゃって、そんなことはないだろうと、そんなことはないだろうと思いたい気持ちが強くあって当然なんですけど、何かずっと先の将来にですね。とんでもない政権とか、とんでもないことになっていたときとには、コロッと今の制令みたいなことでいったら、次の日、昨日までと全く違う世界で、身柄なんかすぐ捉えちゃうということなんか、ありますよね。そういうことは、確かに否定はできないと思いますね。可能性として。
 ですから、そういう道を塞ごうと思えば、少なくても起こりにくくしようと思うのであれば、これはやはり裁判所のコントロール、その道を開いておかなければいけないと思います。こういうことになると思います。それは、世界各国どの国でも「緊急事態条項」を発動する時には、裁判所のコントロールに置くということは、これはいわばグローバルスタンダードなんですね。

日本の最高裁はいわゆる「統治行為の法理」 

 ただ、日本の場合、問題点がございますのは、え~、日本の最高裁はいわゆる「統治行為の法理」というものをとっておりまして、「統治行為論」とよく言われますね。そうですね。つまり、高度に政治的な問題に関しては、裁判所には独自には判断をしない。政治部門のいうことを丸呑みするという考え方なんですけれども。これで行きますと、例えば衆議院の解散、合憲かどうかさえ、これも政治部門の結論、丸呑みということですが。緊急事態条項、必要なのかどうか。一旦発動された後にどういう政令が必要になるのか、果たして裁判所がきちんとコントロールしてくれるのかどうか、そこのところが大変おぼつかないということになるだろうと思いますね。
 そこがあいまいであって緊急事態条項がスーッと入ってくることを想定しますと、つまりこういうことですね、発動要件を仮にもっと厳しく締めたとしても裁判所の方は、そうじゃなければ何も変わらないということですか。
 おっしゃるとおりで発動要件が甘ければ、厳格にすればいいではないかと、そういうお答えがあるかも知れませんが、そうしたとしても第三者の立場からすれば、裁判所のコントロールがないということになれば、結局は同じことになってしまう。そういう可能性はあります。なるほど。かねてより長谷部さんは、こういう風におっしゃっていますね。
「憲法に緊急事態条項を入れなくても、必要とあらば法律を改正して新たな法律を作ればいいので、憲法にこの緊急事態条項を入れなくていいじゃないか」ということをずっとおっしゃっていますね。はい、例えば去年の11月に大規模なテロが起こったフランス、え~、この非常事態の宣言を出している訳なんですが、この非常事態宣言というのは、実は憲法に基づいたものではありません。
 非情事態法という法律に基づいて、いろいろ必要な措置がなされているわけですね。
 日本でも既に、「災害対策基本法」は、大規模な災害に対処する、応急の措置を定める法律もあれば、いわゆる有事法制もいろいろ整備をされておりますので、本当に必要だということであれば、まず法律のレベルで何が必要か、それをまず考えるべきだという風に私は思います。
 先ほど、「他国に比べて」って。じゃあ、他国はどうなんだという時、一方でですね、やっぱりどの国だって緊急事態条項的なものはあるんだと、何言ってるんだという声ももちろんあります。それもちゃんと聞かなければいけないと思いますね。でも、その場合に、フランスだとか、ドイツだとか、いろいろ見てみると、そういうものってのは、どう日本と違いますか。この草案と。
 そうですね。それぞれの国。緊急事態条項。憲法に置いているのは、やはりその国なりの事情や、経緯があって置いているということなので、どういう事情なり経緯があるか、やはり国ごとに考えていかなければいけない。例えばドイツの場合ですと、これも連邦制国家で、政府の権限が、中央政府と州の権限がきわめて厳格に分かれております。だから、緊急の事態には、州の政府の権限を中央政府に吸い上げる必要がある。そこは、緊急事態だからより中央集権を強めなきゃならない。はい。ただ、日本は、連邦制国家ではございませんので、そういう事情は当てはまらないだろうと思います。フランスはどうですか。
 フランスの場合、現在の憲法16条で、確かに大統領に権限を集中するという緊急事態条項あるんですが、現在の第五共和制憲法というも自体、実はアルジェリア危機、特定の危機に対応するためにできた憲法という色彩が非常に強いですし、その色彩が特に強いのがこの16条の緊急事態条項なのですね。
 ですから、まあ、いわばそのアルジェリア危機に対応するために特別仕様でできあがった条項なので、ですから、つまり歴史を見ると、16条の条項というのがアルジェリア危機に対応するために、ただ一度使用されただけ。その後は一度も使われておりません。
 そうですか。とにかく立ち止まってじっくり議論する、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか。その思いで特集を組みました。
 先生、どうもありがとうございました。

「墨田区教職員組合ホームページ」参照検索を

 この文章に当日放送されたとき、生々しい写真が沢山映し出された。動画も見ることができた。それをご覧になると、この文章が、さらに深まって読み取ることができます。

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