子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月24日(木)5年生の人へのメッセージ

3月24日(木)5年生の人へのメッセージ

めんどうなことを大切にする

 今の私たちの暮らしをながめてみると、便利なものばかりが当たり前のように、なじんでしまっています。そのことは、私たち人間が積み重ねた科学技術進歩の結果で、すばらしいことす。その便利な快適な生活を一度味わってしまうと、もう不便な生活には戻れません。そのことが、体全体に染みついてしまうので、やむをえないことなのかも知れません。しかし、そこに大きな問題点があるのです。
 例えば、えんぴつをけずる時に、昔の子は、必ずナイフで鉛筆を削ったのです。最初は難しくて、上手には削れませんでした。その間には、失敗して、手を切ったりしています。手の指から血を出し、痛い思いもしています。この経験を積み重ねていくうちに、だんだん上手くなり、鉛筆削りで削ったのと違いがないほどです。そこまで行くには、半年から、一年くらいかかります。ここまでに行くまでの過程がとても大切なのです。 今の年令で六〇才以上の人たちは、みんなこの経験をしながら、鉛筆がきちんと削れるのです。やがて、手動式の鉛筆削りができて、子ども達からナイフなどの「刃物」をもてなくしたのです。だから君たちは、鉛筆をナイフで削りなさいといわれたら、ほとんどの人が上手く削れないでしょう。ここに値打ちあることが、たくさん奪われているのです。手先は、間違いなく不器用になっています。指先を動かす動作を、面倒くさくて使いたがらないのです。
 日記を書く、作文を書くと言う仕事も、このことと大変似ています。昔の子ども達は、誰しも日記を書かされて生活する子ども達でした。一週間に一度「作文」を書く授業もありました。もっと古い昔、今から六十五年以上前の一九四五年前の子どもたちは、時間割に必ず一週間に二時間作文の時間がありました。当時は、「綴り方」と言っていました。小学校一年生から、このめんどうなことを卒業するまで、ずっとやり続けました。大体鉛筆を持って、一字一字文章にしていくことは、今の時代なかなかありません。だから、皆さんは、「何でこんなめんどうなことをするの?」と、疑問を感じながら来た人もいました。しかし、このことをずっと継続しながら、やり抜きました。最初は、ほとんど文になっていないような人もいました。しかし、少しずつ、上達して、その日にあった心に残ったことを「ひとまとまりの文章」にすることができるようになりました。この体験は、君たちの頭を何倍にも賢くしてきました。
 これからは、文章を書くことが多くなります。小学生のうちに、このことを続けていくと、中学や高校や大学の時に、まちがいなく役立ちます。みなさんとは、たった数年間でしたが、とても印象に残る学年でした。広沢先生は、子どものことを大切にする先生でした。前担任の斉藤先生と同じに、「一人の子も切り捨てない教師」でした。こんな、当たり前のことが、なかなかできないほど、先生方が、忙しくなってきています。それを乗り越えて、担任の広沢先生は、君らの応援団だったのです。
 ぼくは、この三月で、四十二年間の教員生活を終えます。書くという勉強があったら、ぼくのことを思い出してくれたら、嬉しいです。三年間、たくさんの宝物の作品を書いてくれてありがとうございました。ホームページ「えのさんの綴方日記」を、時々けんさくしてくれると、嬉しいです。そこにこれからも、文章を書いていきます。

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