子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月18日(金)生い立ちの記その18

5月18日(金)生い立ちの記その18

人権教育を考える

 「人権」とは、「基本的人権の尊重」のことである。「人間が人間らしい生活をするうえで、生まれながらにしてもっている権利を、基本的人権 といいます。」と説明されている。日本国憲法の3原則「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」は、大事な原則である。しかし、今の日本を見てみると、この原則から、ほど遠いところで、苦しんでいる人たちがいる。例えば、格差社会が、現実に起こっている。正社員と派遣社員の差は、大変大きい。しかも、働く労働者の5240万人のうち、4割が非正規労働者である。もはや、2000万人に達している。年収の平均が、172万円で、正規の年収より315万円低い。2013年に民間企業で働いた労働者のうち年収200万円以下のワーキングプア(働く貧困層)が1100万人を超えたことが国税庁の民間給与実態統計調査(26日発表)でわかりました。1119万9000人でした。安倍晋三内閣発足1年で30万人非正規労働者が増えました。こんな酷い劣悪な状態で働いても、文句も言わず黙々と働いている。労働組合にも入らない若者が増えている。労働者の怒りが、結集できていないのである。
 教員に限って考えてみれば、もっとわかりやすい。私が、現役で、40代ごろまでは、8時間労働制は、しっかり守られていた。しかし、今や、勤務時間の5時で、仕事が終わらず、夜7時は当たり前になっている。それでも終わらず、夜の9時過ぎまで残って仕事をしているのが、日本のどこの職場でも、当たり前になっている。娘の千香は、東京都の小学校の養護教諭である。9時10時に帰ることが結構ある。9時ごろ帰ってきたときに、「こんな遅いの?」というと、「私は早いほう、まだ残っている人が、半数以上いる。」と返事が返ってきた。みんな文句も言わずに、黙々と働いている。9時過ぎに帰って、それから夕飯を食べることがある。あとは、バタンキュウである。風呂に入る前に、ダウンして、なかなか起きられずに、眠ってしまう。夜中の12時ごろに起き出して、風呂に入っている状態である。こんな状態では、次の日疲労が残り、子どもたちの前に立っても、決して良い授業は、出来ない。

子ども食堂が増えている

 満足に朝晩の食事が取れていない児童が、増えている。保護者が、色々な理由で、子どもに食事を施せない家庭が増えている。
 貧困家庭の子供や、両親が遅くまで働くため夜は1人きりになっている子供に、適切な夕食を用意している。日本の全国紙「朝日新聞」の調査によれば、2016年5月時点で、「こども食堂」のような場所は、日本全国に計319ヵ所ある。2013年の21ヵ所から大幅に増加した。このような子どもは、なかなかその実態が掴めない。私が最後に勤めた小学校は、クラスに、1~2名このような子どもいた。朝起こす人がいなくて、学校から電話して、初めてその実態が掴める。朝ご飯を食べていないので、職員室で、前日の給食を食べさせたりした。親に明らかに虐待されている子もいた。そのような子どもは、決して自分から親の虐待は、話さない。しかし、その子だけ残して、じっくり聞いていくと、何とか話し出すのである。

日記が彼を変えた

 20年以上前に、5年始のあるクラスが、学級崩壊になった。そこで、その学年2クラスを、誰が担任するかを、話し合った。結局クラス替えをし、2クラス、担任をかえることになった。1ばん問題のある児童は、私が担任することになった。その子を、Tと名付ける。そのTを中心に、5~6人が、結束していた。担任が決まり、何日かすると、すぐに授業妨害が、始まった。最初は、穏やかに注意いていたが、どんどんエスカレートしていった。あるとき、放課後の話し合いをしていたときだった。あまりうるさいので、酷く叱った。すると、Tは激情し、勉強道具を、4階の窓から、下に落とし始めた。やがて、4階の手すりにぶら下がり、下に落ちるまねをし始めた。私は、他の児童に、「もう帰って良い。」として、T以外を教室から家に帰るようにした。誰もいなくなった教室で、Tは、手すりから降りてきた。そこで、Tと少し話し合った。2人だけになると、普通の子どもに戻っているのである。その日は、そのくらいで、家に帰した。次の日になると、また同じことの繰り返しになる。あるとき、同じような授業妨害があり、私と背の高さもあまり変わらないTに向かって、押し倒して、羽交い締めにした。この時は、かなり、私も感情的になっていた。その日も、子どもたちを全員返して、落ち着いてから、また彼と話し合いを始めた。Tが常に騒ぎ出し、クラスの中で、いつも悪いことをし続けているのには、理由があった。Tが2年生の時に、母親が、同じ都営住宅に住む隣の父親と不倫をし、最後は、2人で蒸発していなくなってしまったのである。それから、Tのあれが始まったのである。その日は、彼が家で、何をしているのかと言う話になった。すると、母親がいないので、掃除、洗濯、食事のあとの洗い物など、すべてやっていることがわかった。「すごいじゃな。今度それを、日記に書いてきてくれないか。」と頼んだ。すると、次の日、彼は、家に帰ってからのことを、書いてきた。

彼の日記から学ぶ

 私は、その文章を、さっそく一枚文集に書いて、みんなで読み合った。その文章の鑑賞を、時間をかけてやった。今まで、Tにいじめられていた多くの子どもたちが、「こんなにも、家で働いていて、すごいと思った。」「学校では、意地悪している、Tが、こんな姿は、初めて知った。」多くの子どもたちが、彼を見直して、大いにほめたのである。その時のTのふだん見たこともない穏やかな顔を、初めて見た。それ以来、彼は、毎日のように、日記を書いてきた。それ以来、彼の授業妨害は、なくなった。元々頭の良い子だったので、こちらにどんどん協力するようになってきたのである。ここまでになるには、もっと試行錯誤はあった。しかし、Tにとっては、日記を書くことにより、みんなから誉められて、初めて彼の気持ちが大きく動いたのである。6年生のたった1年間だったが、Tは、笑顔で卒業していった。
 ここで、彼が初めて書いてきた作品と、その後の日記を紹介したい。

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