子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月18日(金)生い立ちの記その20

5月18日(金)生い立ちの記その20

しょうひぜい T

 しょうひぜいのことが、いつも気になっています。今年の三月までは、三パーセントでした。百円買うと、三円のしょうひぜいがかかるのです。今年の四月から、五パーセントになりました。今度から、百円の品物を買うと、百五円買わないと、買えません。
高い品物を買うほど、高いしょうひぜいがかかってしまいます。一万円だったら、五百円はらうことになります。車一台買うのに、百万円すると、五万円のしょうひぜいがかかります。家を一けん買う時は、五千万円から一億円かかると、たんにんの榎本先生が、教えてくれました。
 一億円買うと、五百万円もしょうひぜいがかかってしまいます。この話を聞いて、
(はらがたつなあ。)
と心の中で思いました。
 ついこの間の、五月二十二日の木曜日の夕方の四時十分頃の事でした。僕と同じクラスの大久保君といっしょに、カナリヤに行きました。カナリヤは、ぼくの家から三分位かかる所にあります。そのお店には、おもちゃやゲームやカードを売っています。ぼくは、ゲームで良くお金をつかってしまいます。一回に五十円で六回位やってしまうのです。三百円つかってしまいます。先生に聞いてみると、うちぜいと言って、すでにこのお金の中にしょうひぜいが入っているのだそうです。
 その日は、カナリヤのとなりの山崎パン屋に行きました。ぼくは、一人でアイスを買うことにしました。アイスをえらんで、山崎のおばさんがいるレジに行きました。ぼくは、
「すいません。」
と言って、アイスをおばさんに見せました。そしたら、おばさんがぼくに、
「百五円です。」
と言いました。ぼくは、百円しか持っていなかったのです。そのしゅんかん、
(ああどうしようかなあ。)
と、びくっとしました。その時、まわりを見たら、六年二組の宮下としき君がいました。ぼくは、としきくんに向かって、
「五円かして。」
と言ったら、としき君が、
「いいよ。」
といいました。としき君が、ポケットに手を入れて、ぼくの手に五円玉をのせてくれました。ぼくは、おばさんに、かしてもらった五円玉を、おばさんに、
「はい。」
と渡しました。ぼくはその時に、
(こんどから一円玉を持ってあそびにいこう。)
と思いました。
(しょうひぜいは、大へんだなあ。)
と思いました。

赤ペン

 この文章は、日記に書いた「しょうひぜい」と言う文を作文に書きふくらましたものです。前半の所は、少し話し合いながら書き加えてもらったものです。しょうひぜいは、今から八年前の一九八九年四月から始まりました。当時たくさんの反対がありましたが、決 まってしまいました。三パーセントから五パーセントになり、年金生活者や給料の少ない人は、とてもたいへんです。
 T君は、自分の経験からこのような事を考えてくれました。この文章は、世の中の出来事とつながっています。自分のくらしと、世の中の事をこのようにつなげてみると、なかなか良い文になります。日記に、ニュース等をみて自分のくらしとつなげながら考えて書いてみてください。

べんきょう      T

 ぼくは、いままでべんきょう、いのこりべんきょうを五年生のころは、さぼっていました。なぜかというと、ぼくは五年生のころは、なにもべんきょうをやってないからです。
 みんながべんきょうをやっているのに、ぼくはいつもろうかにでて、大声や人のことをなかしたり、たたいたりけったりしていました。
 算数、国語、社会、理科、体育を全部さぼりました。でも、六年になって、べんきょうをさぼったことは、少ししかありませんでした。ぼくは、一学期一番うれしかったことは、えのもと先生や色々な人が、わかんないところをおしえてくれたことが、一番いんしょうにのこっていることです。ぼくは、五年生のころ、いつもいつも、
「べんきょうはつまらない。」
といってました。たまには、ぼくは、
「人は、いつかしぬ。」
といってました。六年生になってつまんないと一回もいったことがありません。べんきょうはたまにおもしろいけど、つまんないこともたまにはあります。ぼくは、プールがきらいだから、1回だけえの本先生にうそをついたことがあります。それは、      
「はらがいたいから、きょうははいんない。」
といったことです。ぼくは、ふかくはんせいしています。
 ぼくは、かんじが一年から六年までずっとすきです。ぼくは、一番きらいなきょうかは、さんすうです。さんすうは、なぜもんだいをとかなきゃいけないんだろう。  
 ある日、えの本先生がみんなのほうをむいて、
「算数のテストをやるぞ。」
といったから、ぼくは、心の中で、
(ええ、おれ算数なんかなにもわかんないよう。)
と心の中で、おもってました。えの本先生がロッカーからかみをいっぱいとって、みんなにくばりました。ぼくは、かみをみたしゅんかん、
「なあんだたしざんか。」
といった。かんたんそうだったけど、けっこうむずかしかった。一番目にだれかが、  
「おわった。」
といった。ぼくは心の中で、
(いいなはやくおわった人は。)          
とおもっていました。二十分後やっとぼくがおわりました。ぼくは、やっと6年になって、あたまがよくなりたいとおもいました。さようならをして、えの本先生のところにいって、先生にぼくが、
「算数わかんないとこおしえて。」
とえの本先生にいいました。そしたら、えの本先生が、
「わかったぞう」
とにらんだかおでいいました。ぼくは、           
(いい先生だなあ。)
とおもいました。えの本先生が、
「明日から日記がある。」
といいました。ぼくはこころのなかで、
(ええ、めんどくさい日記がでるのやだなあ。) 

素直さがでている

 改めてこの文を読むと、あんなに授業妨害していたのに、私と心を通わせ。ここまで自分のことを正直に書いてくれているのが嬉しい。 5年生までは、担任を馬鹿にして、教室から勝手に出て行ったりしていたのに、これほど変わってきたのである。これ以後は、私に絶対の信頼を置いてくれるようになって、変わっていったのである。

T君が変わった   6年 女子  7月15日

 五年生の時のT君と、今のT君は比べものにならないくらい変わった。五年生の時のT君の担任の先生は、S先生でだった。私は、T君と同じクラスだった。五年の時にクラスがえをして、何日かたった時、男子が、
「しまごん、しまごん。」
と言っていた。それは、島田先生のあだなのようなものだった。あだなが決まってから、島田先生が、人の話を聞いてない時は、  「しまごん、聞いてんのかよ。おい。」
等というような言葉を、使うようになっていた。少したつと、今度はしまごんではなくて、
「おい、しま。」
と言うようになった。それから、授業中に男子は、抜け出していったりする時がある。そんな時S先生は、男子を呼び止めようともしないで、授業を進めていた。時々授業中に、T君が、他の男子にコンパスでさそうと思っていたのかは、知らないけれど、ふざけていた。回りでコンパスを持ってうろうろされている男子は、
「やめてよ。やめてよ。」
などと、言っているのに、T君は知らん顔だ。T君は男子の洋服をブスブスさしながら、ふざけていた。そんな時だって、島田先生は、授業を進めている。知らん顔しているみたいだった。島田先生は、だれかがいじめられて泣いている時だって、知らん顔。5、6人の女子で島田先生に、
「泣いているんだよ。何でいつも知らん顔なの。」
と言った。島田先生は、
「わかってる。」
と言う。先生が、注意をしないせいか、T君はどんどん悪くなっていく。だれかをけっとばして、笑ったり、悪口を言って、おもしろがったりするようになった。だれかが、
「やめてよ。」
と言っても、T君は、知らん顔だ。だれかが、
「やめなよ。」
と、言っても知らん顔。注意の言葉を聞くと、返ってくる言葉は、
「うるせえよ。」                      か、知らん顔。先生の話を聞くとT君が言う言葉は、
「うるせえ、しま。」か、「だまれ、しま。」
と言う言葉だ。そういう言葉を言われても、先生は、知らん顔。そんな先生の口ぐせは、おくれているなあ。授業を始めようとする時に、最初に言う言葉は、
「ちょっと、おくれてるから。」と言う言葉だ。私は、
(おくれてる。おくれてるって言うなら、T君を少し注意す れば言いのに。T君がふざけているから、それが気になってるんじゃないの。)
と、思ったりしていた。時々、T君は、先生とけんかをする。先生の背中に、T君がイスを投げたりする。T君は、先生の悪口を言ったりする。でも、6年になってから、悪口を言ったり、だれかをけっとばすなんてことは、ほとんどなくなった。宿題もやってくるし、T君だけじゃない、皆だって変わった。五年の時、宿題をやってくる人は、5、6人位だ。6年になってから、みんなは、ちゃんとやってきている。私は、
(みんなが、5年の時みたいにならないで、このままでいられたらいいのに)と思う。 

同じクラスの子どもの見方

 この文を読んだだけで、彼がどんどん変わっていたことが、この文を読めば、よくわかる。

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