子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

8月11日(日) 田中定幸さんのお見舞い

8月11日(日) 田中定幸さんのお見舞い

 手術してから10日たった本日、田中さんのところにお見舞いに出かけた。豊島作文の会と理論研究会のみなさんからお願いした短冊にメッセージを書いていただいた色紙を持参した。それは、片桐さんに作っていただいた色紙にはり、立派なものが出来上がった。全部で、4枚の色紙である。事前に連絡した、片桐さんと我々夫婦の3人で出かけた。川口駅で合流し、新宿から快速の中央線に乗り、吉祥寺駅に着いた。駅からバス停のある、進行方向左側に降りて、3分くらいのところにバス停がある。6番か7番に乗ると、杏林病院前に到着。受付のところで、入院患者の田中定幸の名前を告げると、「外科病との4階」と案内され、くわしく地図を渡されて入室した。病室の近くに着くと、近くで我々の前に面会に来ている方が、ちょうど帰るところであった。その場で奥さんの安子さんの妹家族が、お見舞いに来ていたようだった。病室に安子さんと健太郎さんに案内されて、部屋に入ると、田中さんが、ベットで横になっておられた。待合室の方が話しやすいと言うことで、車椅子に乗せられた田中さんが、安子さんと健太郎君に導かれて、部屋に帰ってこられた。そこで、今回の目的である、みなさんに書いていただいたメッセージを貼り付けた色紙をお渡しした。全部で、4枚の色紙である。すべて片桐さんが事前に、「お見舞い田中定幸さんへ」トレイアウトしたものに、それぞれ貼られた文章を、手渡した。それた、ちょっとしたお見舞いの品物と一緒に手渡した。しばらく、じっとながめていた。その後、改めて、今回の手術のことを振り帰りながら、話をした。そばで、安子さんと我々の会話を聞いていた田中さんが、少しずつしゃべり出した。手術してから1週間が、大きな山であると、事前に言い渡されていた家族は、かなり緊張して、毎日を過ごしていたようだ。事実その間は、集中治療室に隔離されていたので、毎回家族で会いに行くと、田中さんの話す内容が、山形にいるときの話になっていたりと、かなり錯綜していて、心配したようだ。手術して10日過ぎた、昨日から、一般病棟に移された。本日は、その2日目である。話す内容も、やっとつじつまが合うような話が出来るようになっていた。今日我々と話しているときも、ふつうに会話が成立していた。
 1時間近く話をして帰る頃になって、日色さんが、こちらに向かっているというメールが来た。ちょうど帰る頃に見え、そこで再び20分くらい話をして帰ってきた。
 一般病棟は、人によって違うが、2,3週間入院するそうだ。これからは、歩く練習をしたり、弱った筋肉を鍛えるそうだ。
 最初面会したときは、頭の傷跡が、痛々しかった。手術して、1週間は、頭が痛いと、結構大変だったようだ。今は、その傷跡は、かさぶたが付いているので、痛々しく見えた。やがて、そのカサプタもとれれば、今ほど痛々しくないようになるとのことであった。話をしている最中に、何度か寒くなるだじゃれが出て、「もう大丈夫だな」と感じながら、帰ってきた。
 これからお見舞いに来られる方は、いつでも大丈夫ですとのことであった。
 帰りの電車の中で、もう大丈夫だなと感じながら、帰ってきた。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional