子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

8月20日(日)「むのたけじ」発言その1

8月20日(日)「むのたけじ」発言その1

朝日新聞のデジタルの会員になったので、時々活用している。月に購読料+500円である。昔の読み忘れた記事を、検索でもう一度読める良さがある。これから、そのやり方で、むのさんの発言録を載せていく。どの文も、説得力がある。

心動かさない今の五輪

 東京オリンピックをめぐる騒動がようやく一段落した感じだね。これまでの動きを見ていると、オリンピックというものが本来の目的とは全く縁のない、完全な経済活動になったということがわかるな。これならやる必要はないと思うな。
 スポーツには不向きな真夏にやるのは、お金の問題でしょ。秋だと米大リーグの優勝争いがあり、欧州はサッカーが盛り上がっている時期でテレビ放映料があまり入らないからだと。
 炎天下にマラソンをやれば死ぬ選手が出るかも知れないと反対されても耳を貸さない。選手に合わせるのではなく、テレビに合わせて競技をする。選手の体より金が大切なわけだ。これって一体なんなの。
 スポーツはどこかに行っちゃってオリンピック業者の祭りだ。国内のエコノミストは「これで経済効果は何億円だ」とはじいて喜んでいる。人類が賢くなるわけでも、人類の親善につながるとも思えない。
 競技会場やエンブレムで大きな問題が起きて、根本からやり直すというお粗末さだ。「常にルールを守る」というフェアプレー精神がどこにもないじゃないの。
 それは選手たちにも言える。スポーツはただの見せ物じゃないはずなんだ。人間の肉体の可能性を競うためのものなんだ。ただ夢中に走って跳ぶ。その一生懸命な姿に人は感動する。それが今は消えている。単なるメダル争いでしょ。
 期待に応えるためか、報奨金のためか分からないけど、危険薬物を使って勝とうとする選手まで出てくる。コーチたちもドーピング検査にひっかからない薬を探し出してくる。「たじろがず、威張らず、不正を憎み、正々堂々と尋常に勝負する」というスポーツの原点とは逆だものな。
 何をどうしてもお金の影がつきまとう。今のような大会では心動かされない。やる必要はない。この際、休んだらいいんじゃないの。それで若い人たちがやはりやりたいということになればまた考えればいい。今は、血なまぐさい殺伐たる社会状況を鎮めるためのイベントをやったらいいと提案したいね。
 私はオリンピックなどで万国旗をみると気持ちが落ち着かないんだ。本当のオリンピックなら、人類の旗を1本作って世界各国の選手が振り回すのがいいと思っている。「人類みな仲間だ」というエスペラント語のような新しい国際語も作って競技場の中でみんなが一斉に言う。
 その言葉は日常でも使う。1日の中でその国の正午とか決めた時間に、73億の人間がみんなその国際語を言う。「人類みな仲間だ」って。エンブレムなんて作るよりその言葉を作った方がずっといいよ。(聞き手・木瀬公二) 2015年10月16日

スポーツは政治家に利用される

 今の形のオリンピックになったのは、戦前のドイツのベルリンオリンピックからである。つまり、3位までの受賞者には、あのようにお立ち台に並べて、優勝した個人をたたえるのでなく、その国をたたえる。つまり、国旗を揚げながら、優勝した国の国歌を流すのである。まさしく国威発揚の一番言いやり方である。その考えは、あのヒットラーによって考え出されたのである。その後、800万人のユダヤ人が殺されていった。日本は、3国同盟を結成し、当時のヒットラー政権やイタリアのムッソリー政権と連合し、世界を敵に回して、日中戦争・太平洋戦争へと突入していった。ヒットラーが、なぜ政権につくことが出来たのだろうか。ワイマール憲法を巧みに利用した。その時に作られたのが、「緊急事態法」という法律である。比較的民主的な政党を利用し、ドイツの共産党を弾圧した。やがて民主勢力も、次々と逮捕されていった。その法律が、緊急事態法である。今の自民党の憲法草案には、これらに似た緊急事態法がきちんとはいっている。
 日本国憲法は、押しつけられた憲法としきりに改悪論者は発言している。しかし、今回それを否定する記事が見つかった。しかし、あまり大きく取り上げないのが、日本のマスコミである。

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