子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

8月27日(土) 高橋源一郎に聞く

8月27日(土) 高橋源一郎に聞く

(街頭政治 SEALDsが残したもの:9)デモ、眠る魂に火をつけた――高橋源一郎さんが見た1年3カ月

 安全保障関連法に反対して路上で声を上げ、野党共闘にも関わってきたSEALDs(シールズ)。学生が起こした「街頭政治」のうねりに多くの市民が共感し、戸惑い、あるいは反発した。連載の最後に、彼らの活動を当初から見てきた作家で明治学院大教授の高橋源一郎氏(65)に聞いた。
 ――結成から1年3カ月にわたったシールズの活動をどう評価しますか。
 シールズの運動の特徴は四つあると思います。まず組織はトップのいない副司令官型でした。トップダウンを排し、自由な議論ができるようにしたのだと思います。社会運動では、その組織の中に未来の社会のひな型がなければなりません。これには驚きました。
 二つ目は、もともと、この運動はふつうの人、小さな人が始めたものだということです。大きな組織が長期的な計画や綱領のもとに始めた運動ではなかった。テーマも一つでした。三つ目は期間限定であったこと。そのことで組織が陥る「組織防衛」の病にかからずにすみました。四つ目は、主語が「私」だったことです。
 もちろん、そのどれも、「新しい」わけではありません。小さな人がつながり大きくなったベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の運動にも似ているでしょう。けれども、彼らは偶然その形に行き着いた。そういう運動があり得ることを「再発見」したのです。
 彼らがやった重要なことは、いつの間にか「特別」になっていたデモを、再び「当たり前」にしたことだと思います。民主主義や人権を抑圧し、非常に重苦しい社会へと変わっていく流れを、ちょっと押し返しました。
 それは、「奪われていたもの」を取り戻す試みでした。格差と不寛容が広がる社会の中で、いま世界中で様々な運動が起こっています。彼らの運動は、その大きな動きの一つだったのではないでしょうか。
 ――シールズが残したもの、「街頭政治」のゆくえをどう見ていますか
 「街頭政治」というものがあり得るとすれば、それは、直接的ななにかを通じて、人々の「触媒」になることです。
 人々の中に眠っている、名づけられないなにか、魂のようなものに火をつけること。それが「触媒」の役割です。それは、例えば選挙を通じて、漸進的に社会を変えてゆこうとするような、通常の政治活動では困難です。そして、どんな行動が「触媒」になるのかは事前にはわからないのです。けれども、それもまた、政治にとって欠かせない要因なのですが。
 彼らを「若者の代表」に祭り上げたのはマスコミだと思います。彼らは、そんなことを少しも思ってはいなかったでしょう。なぜなら、彼らは最初から最後まで「個人」でいて、「個人」は、自分以外の誰も代表することはできないからです。彼らの運動がなにをもたらしたのか。それをいますぐ言うことはできません。あらゆる社会運動は、短期的な結果と長期的な影響の二つをこの社会に残していくからです。
 1968年の(反体制運動である)「パリ5月革命」で、ドゴール政権は倒れませんでした。短期的には運動は失敗に終わりました。しかし、それ以降の社会はずっと68年の運動の影響下にあるという人もいます。フランスだけではなく、世界の社会と文化に深い影響を与えた。それと同じだと言いたいわけでありません。ただ、わたし自身が大きな影響を受けたのは事実です。
 ――安全保障関連法は成立し、与党は参院選で勝利しました。触媒としてのシールズの活動には限界があったのでしょうか。
 政治は、ある意味で単純に「勝ち負け」がわかる世界です。だから、目標が達成できなかった以上、限界があったのは事実です。しかし、同時に、政治・社会運動は「オール・オア・ナッシング」ではないことも事実です。反対していた法案が通ったから「負け」と批判するのは、実は現実を無視したロマンチックな考えではないでしょうか。
 52年の破壊活動防止法のときも、法案は通った。けれども、強烈な反対運動に出会った政府は法律を使うことをためらうようになり、実質的には使えない法律になった。と、冷徹なリアリストでもあった政治学者の丸山真男は言っています。安保関連法も通りました。けれど、逆に、簡単に(憲法)9条改正はできないのだと、政権は思い知ったかもしれません。
 シールズの運動は最初にも言ったように、「ふつうの人」、「小さな人」が始めた「小さな運動」でした。それが歴史の渦に巻き込まれ、大きな場所に連れ出されたのです。
 そんな運命にぶつかる運動や人は必ずあります。準備などなくても、即興演奏のように目の前に現れる課題をこなさなければならない。決して他人任せにすることなく。彼らと同じ年頃にわたしも同じような経験をしましたが、彼らはわたしよりずっと柔軟な応対を時代に対してしていたと思います。それはほんとうに難しいことなのですが。(聞き手=藤原慎一、石松恒)
朝日新聞・朝刊2016年8月27日(土)

彼等の動きにこれからも期待

 私も何度か国会デモに参加した。そのつど、シールズの若者たちシュプレッヒコールの中にいた。最初は、小さなデモが、どんどん広がっていった。マスコミの扱いも次第に大きくなっていった。参議院選挙前の動きは、たいしたものだった。野党統一を叫び、参議院選挙は、それなりの成果をもたらした。今度の衆議院選挙は、この動きを止めてもらいたくない。

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