子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月12日(土)懐かしいピアノの恩師へ

9月12日(土)懐かしいピアノの恩師へ

臼木恵二様
「私のハンガリー留学記」を送っていただきありがとうございました。一挙に読みました。それは、私が臼木さんと巡り会ったのが、大学生の時でした。ピアノが苦手で、バイエルンぐらいはマスターしておこうと、当時ピアノの調律師をされていた方に紹介をしていただき、巡り会えたのでした。臼木さんは、まだ結婚されていなくて、独身でしたが、時々レッスンを受けるときに、素敵な女性がいらっしゃいました。「あゆみ」を見ると、結婚されたのが、1969年ですから、結婚間近で、時々臼木さんの所に来られていたのですね。臼木さんは、与野駅の近くに住んでおられました。まだ、お母様や1歳違いのお兄様も同居されておりました。私が長いこと住んでいた場所も、与野の下落合でした。だから、生まれ育った場所と、臼木さんの自宅が意外と近いところでした。遊んだ友だちも、臼木さんの高校の同級生だったりということで、ますます昔の話に花が咲くようなこともありました。しかも、同い年であるということで、レッスンが終わると、そのまま残って一緒にお酒を飲ませていただく中にさせていただきました。だから、レッスンは、いつも一番最後の生徒でした。

飲み屋の思い出

 今、思い出すと、近くに「大森」という飲み屋さんがあり、そこに一度連れて行ってもらった記憶があります。その大森さんのご主人は、私が小学生の時には、アサリやシジミを自転車に積んで売り歩く苦労人のお兄さんでした。大変な働き者で、やがて近くの八百屋の店の一角に焼き鳥屋を開きます。小さな店だったが、大変な繁盛で、その店の前を通ると焼き鳥の良いにおいを嗅いで通り過ぎたものでした。その大森さんのお父さんは、片足がない叔父さんでした。おばさんは体格のいい叔母さんでした。なぜ片足がなくなたのかはわかりませんが、多分戦争か何かで怪我をされたのかも知れません。私の祖母が、その大森さんのご両親と友だちだったこともあり、色々な偶然でその店に出かけたのでした。あいにく、その時には、ご主人は出かけており、会うことは出来ませんでした。ピアノを習った記憶より、終わった後の一杯の記憶の方が鮮明に覚えています。

コダ-イの音楽の魂

 ピアノのレッスンは、1年くらい続いた記憶があります。何とかバイエルンは卒業できました。最後に「エリーゼのために」を弾けるようになりました。やがて、私は、東京都の小学校の教師になり、忙しさも重なり、レッスンは、自然に遠のいてしまいました。しかし、臼木さんは、何かと連絡を取って下さって、私と会う機会を作って下さいました。あるときは、私の教室に来て下さり、当時2年生だった子どもたちに音楽の授業をして下さいました。あの時の子どもたちも、今は51歳になっています。しかも、楽器を使わず、音楽を楽しむというコダ-イの音楽の実践でした。その指導法にすっかり魅了された私は、その年の夏に三重県の員弁郡の山奥で行われたコダ-イの音楽の研究会に一緒に参加することになったのもいい思い出です。やがて、そこで学んだたくさんのテキストを購入して、2学期からはその方法で授業に挑みました。その年の校内研究会では、研究授業に音楽をやって職員の人達に、コダ-イの音楽の存在を知らしめたのでした。

ほめる教育の大事さ

 確かその研究会に、臼木さんが紹介してくれて見せてくれたビデオを見て、教育のあり方も考えあったのでした。そのテープとは、コダ-イの音楽理論にもとづいて作られた教育の本質を具体的に考えあるおもしろい実験のビデオでした。つまり、幼児に粘土でものを作らせるときに片方はの教師は、子どもの自主性を活かしながらほめて励ます教え方であり、もう1つの方は、いつもガミガミ怒って教えるやり方でした。最後に出来上がった作品を並べて、児童に作った感想を聞くようなビデオでした。出来上がった作品は、誰が見てもはっきりわかるものでした。つまり、教育というのは、子どもの個性を引き出し、たくさんほめながら進めると、子どもたちも楽しく授業が受けられるというものでした。そのテープの題名は忘れてしまったが、教育jのあり方を考えあう素敵なテープでした。その後、低学年の音楽を教えるときには、このやり方をずいぶん取り入れて、やってきました。また、私が生涯教育の柱に据えた「作文教育」にも大いに役立ちました。つまり、子どもたちが書いてきた日記に赤ペンを添えて返し、その中の優れた作品を印刷して読み合う時は、いつも「ほめる」事を忘れずに授業にも取り入れました。おかげで、私の教育実践の柱にもなって、42年間の教育実践を終えることが出来ました。また、退職してからも、2つの作文のサークルをいまだに続けております。最近小学生から中学生を対象にした児童向けの本を仲間と作りました。よろしかったら、お納め下さい。 

病人になったが、精一杯努力したい

 早く、お返事しなければと考えておりましたが、やっと一息つきました。夏の初めの7月21日母が突然亡くなりました。最後まで元気であったのが何よりでした。あと9日で、95歳になる人生でした。そのことについては、私のホームページ「えのさんの綴方日記」の「えのさん日記」にくわしく書きましたので、後ほど検索していただくと、ありがたいです。「あゆみ」を拝見すると、何度かご病気になり、そのつど回復されて現在に至っているんですね。私も、病人になりました。今年の4月から透析患者になりました。週3回、1回に3時間半透析をしております。時間的に制約されるのが、厳しいのですが、その時間は読書に専念することに徹底しました。おかげで、今まで読まなかった本を、この半年間にずいぶん読みました。透析をしたあとは、幾分だるさが残りますが、日々の生活には、今のところ特に問題もありません。体を動かすことは、積極的にするように医者に言われています。アルコールもほどほどに飲んでも良いといわれています。そんなわけで、町会の小学生相手の少女ソフトバレーの監督は、今年で15年目を迎えます。とにかく、毎日、元気には過ごすように努力しております。早めに「古希」を祝う飲み会をしましょう。

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