子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月13日(火) 金子兜太さんの話

9月13日(火) 金子兜太さんの話

 もうじき97才になる、1919年生まれの金子兜太さんの話を聞きに行った。主催者は、川口9条の会でお呼びした。毎年1回、私の住む川口の家から、10分もかからないキュッポラ(公共施設)の4階で行われた。午後1時からの受付で、1時半開始であった。家を1時15分過ぎに妻と一緒に出て、十分受付に間に合った。開始3分前に到着した。さすがに有名人である金子兜太さんの話を聞きたいと言うことで、超満員であった。会の前座に、マリンバの演奏があり、後半が金子さんの話であった。「アベ政治を許さない」の字を書いたのが、金子さんであり、最近は、東京新聞の平和俳句の選者になり、毎日平和を意識した素敵な俳句が読者の我々に届く。そんなこともあり、聞きに見えた人達は、かなりの年配者の姿が目立った。話の内容は、戦前東京帝国大学を卒業後、日本銀行へ就職している。 赤紙が来て、日本銀行を辞めて、兵隊を終えたら、再び日本銀行へ就職できるという 条件で南方へ派遣された。太平洋の赤道直下のトラック島であった。金子さんの話によると、珊瑚礁で出来た島である。
 そこで、生死を彷徨いながら、200人の部下のうち、半分以上を餓死でなくしている。補給基地をたたれた日本軍は、闘う前に栄養失調でなくなっているのである。食べられるものは、何でも食べたと言うことである。この間なくなった水木しげるさんも、赤道直下のラバウル島でやはり生死の間を彷徨いながら、奇跡的に助かり、日本に帰還している。 28年間グアム島のジャングルに潜んでいて発見された横井庄一さん、さらに35年後ルバング島から発見された小野田寛郎さんにしても、本当に驚いたものであった。やはり、戦争は、醜いもので、人々を虫けらのようにして、あつかったのである。金子さんの話によると、戦争前夜の状況に似てきているとのことである。
 終わりに、金子さんの本を1冊買い求めて、サインをしてもらい、握手をしていただいて、帰ってきた。

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