9月25日(水)「北に向かいし枝なりき」への原稿
9月25日(水)「北に向かいし枝なりき」への原稿
第9回国分一太郎「教育」と「文学」研究会を終えて
9年目を迎えた研究会
地元の教え子さんや、「こぶしの会」の人たちが中心となった「こぶし忌」時代は、4月の第2日曜日に研究会を開催してきた。やがて、国分一太郎「教育」と「文学」研究会として引き継がれ、地元の国分一太郎・こぶしの会と共催しながら、今年で9年目を迎えた。サクランボの時期と重なるようにと、6月の終わりから7月の初めにすることもあったが、教育現場は、学期末と重なるので、ここ数年は夏休みに入った最初の日曜日に落ち着いてきた。
7月20日前後と言うことになる。教育現場は、夏休みの研修権が奪われ、簡単には参加しづらくなってきているようだ。また、この時期は、大学の研究者は、授業があるので、かえって参加しづらいと言うことも聞いている。どの時期が、一番参加者が多くなるのか、今後の課題である。
地元からの報告
今回は、地元から我孫子哲郎さんが、この3月をもって高校の現場から離れて、『明日を紡ぐ若者たち』(文芸社)という本を出版された。現役のときに子どもたちに書かせた作文と、その後の子どもたちの現在の状況を作文に書くことを依頼し、かっての教え子から半分近くの返事が来て、教師人生を縦糸にした作文集を発行したものである。「生活綴り方の光を現代へ」という願いを込めて特別報告をしていただいた。
安孫子さんには、事前に地元の新聞社を回っていただき、今回の研究会の意義や後援のお願いをしていただいた。その成果が、今回は出ていた。いつも研究会が終わった次の日に記事が掲載されていたが、1週間以上前に会のあることを紹介していただいた。
『山びこ学校』の教え子
また、2日目の佐藤藤三郎さんの記念講演には、普段見かけない人たちが結構見えていた。佐藤さんは、無着成恭さんの『山びこ学校』の教え子さんのひとりである。無着さんから教えられた、綴ることの意義をずっと大切にして、「脳みそを使え、自分の言葉で話せと教えられた。私の財産だ。」と、今回「ずぶんのあだまで考えろ」(本の泉社)と言う本を出版された。農業をしながら文筆活動をしている、今の心境を淡々と語って下さった。本の中でも、恩師無着さんのことを心より尊敬して、綴っている箇所が何カ所かある。その、大分県に住んでいる88才の無着さんからも、この会へのはげましのメッセージをいただいた(近況報告参照)。人と人は、つながりを持って生きているということを改めて感じることができた。
厳しい会の運営
会費2000円で運営しているが、会員数が減少傾向にある。年2回、山形と東京(池袋)で研究会を持っている。会費だけでは、運営していくのは不可能である。会を発足当時から、会費以外に、賛助会費をカンパしていただいている。今年度も、すでに何人かの方々からいただいている。前日の交流会に、お酒が届いてくるのもありがたい。このお祝いカンパとお金があるおかげで、何とか会の運営が可能になっている。ここに感謝の気持ちを込めて、お名前を載せさせていただく(敬称略)。
土田よう子 佐藤淑子 大田堯 無着成恭 山田とき
国分恵太 国分真一 植山俊宏 馬田哲明 田中定幸
地元の協力
上記のように、会の運営については、毎年、頭をいためているところでもあるが、今回は、ある意味では画期的な取り組みが行われた。毎回地元の人たちと相談しながら、この研究会の案内状を会員の人たちへ発送する。今年は、サクランボの注文書を入れてみた。現地でいつも献身的にご支援いただいている村田民雄さんのアイディアである。「代金の一部を研究会の開催費用に充当させていただきます」という一言にこたえてくれたのか、全国各地から、かなりの注文をいただいた。そして、売り上げの一部が地元の「こぶしの会」の研究会にカンパされた。今回は、地元のご厚意で、全額を運営費としてあててくださった。ありがたいことである。一番おいしいその時期に産地直送の「さくらんぼ」が会員に送られる。それが会の財政をささえてくれる。こうした取り組みをさらに増やしていくことも大切だと改めて感じた。
若い教師の参加が厳しい
研究会に課せられた課題は、まだまだある。参加者が高齢化していることである。地元の山形はもちろんのこと現役教師、あるいは若い人がほとんど顔を出さないことである。このことは、東京でもいえる。サークルの例会を40年以上開いてきたが、ここ数年は、若い教師の参加の減少が著しい。
色々理由は考えられる。現場が忙しくなり、土日は、休養の時間になっていることも想像できる。昔から「教師の多忙化政策」が、行われてきた。現場は、それを跳ね返して、仲間の輪を拡げてきた。しかし、今現場を見ると、国分さんが大事にしてきた教師の連帯の旗が分裂し、それぞれが弱体化していることも大きい。ものを言う教師は、昔はたくさんいたが、今はイエスマンばかりで、ピラミッド化した職場には、若い人の居場所がないようである。そういうことも、意識することも出来なくなっていると考えた方が良い。
「生活綴り方教育」の復活を記して
しかしながら、子どもの元気をもらえば、教師は必ず何かを求めて行くに違いない。子どもが、今何を考え、何に感動しているかを掴むためには、子どもに文章をじっくり書かせ、そこから学ぶ「生活綴り方教育」が大切なことはいうまでもない。「文学」から学ばせることも、読みとるための「文法」の指導も大事なものである。
我々はそういったものが、会を通じて、深まり広まり、また、交流できることを期待しながら、これからも歩んでいきたい。