子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月4日(日) 松山善三さんの訃報

9月4日(日) 松山善三さんの訃報

 主演が決まった映画の題名を聞き、女優は身構えた。「怪奇映画じゃなかろうか」。映画の題名は「二十四の瞳」(一九五四年、木下恵介監督)。女優さんとは高峰秀子さんである▼教師と十二人の子供たちとのふれあいを描く不朽の名作。とんだ勘違い。しかも、この映画で高峰さんが出会ったのは怪奇映画の怪物どころか将来の伴侶。先月亡くなった映画監督の松山善三さんである。九十一歳▼ろうあ夫婦の「名もなく貧しく美しく」(六一年)、サリドマイド薬害の被害女性の「典子は、今」(八一年)など困難な立場にある方々を優しく見守る作品の数々。お名前の通り、人間の「善」や、強さを信じるタッチをお持ちだった▼「二十四の瞳」では助監督。当時、高峰さんには実はもうお一方、結婚の「候補」がいた。裕福で明るいおぼっちゃん。対する、松山さんは父親が失職し、母親は病気で、「貧乏で苦労している」。分が悪そうである▼高峰さんも当時、お金で苦労していたが、「お金のような面倒なものは最初から無い方がサッパリしている。私の心は簡単に松山善三にかたむいた」。どこか松山作品につながる逸話である▼高峰さんは万が一、松山さんに先立たれた場合、棺(ひつぎ)に松山さんの好きなコスモスを入れたいと書いていた。そして善三さんは秀さんの元へ旅立たれた。そろそろ、コスモスの季節である。
東京新聞 朝刊2016年9月4日(日)筆洗より

8月4日の文章と同じものを載せておく

 小学校3年生の時に、「二十四の瞳」(壺井栄著)を、学校全体で、映画館に見に行った。1954年(昭和29年)に公開された松竹大船撮影所製作、木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演による日本映画である。最後の方のシーンが印象に残っている。長かった苦しい戦争も終わり、大石先生はまた分教場に戻り教鞭を取ることになる。教え子の中にはかつての教え子の子供もいた。その名前を読み上げるだけで泣いてしまう先生に、子供たちは「泣きミソ先生」とあだ名をつけた。
 そんな時、かつての教え子たちの同窓会が開かれる。その席で、戦争で失明した田村高廣演じる磯吉は一年生のときの記念写真を指差しながら(オリジナル版では指差す位置がずれ、涙を誘う)全員の位置を示す。真新しい自転車を贈られ、大石先生は胸が一杯になり、涙が溢れてきた。
 日本が第二次 世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく飲み込まれていく女性教師と生徒。(ウイキペディア参照)

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