子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

Tさんにささげる詩

Tさんにささげる詩

あれはいまから何年前だろうか。
私が最後の二年間を過ごした緑小に、
初々しいおかっぱあたまの新任教師が現れた。
何をするにも、ハキハキと返事が返ってきた。
やがて僕らは、白球を追い求めていた。
忙しい職場でも、放課後の体育館は、かけ声が響いた。
定年二年前のぼくやOさんには、きつかった。
一時間程度の練習でも、気合いの黄色い声が響く。
練習が終わった後のさわやかさが味わいたくて、
十人前後のメンバーが良くそろい、練習に燃えた。
やがて、何回かのトーナメントに勝ち進んだ。
道のりは、平坦ではなかった。
「やる気あんのかよ。」
そんな風な気合いの言葉が、入った。
いつの試合でも、Tさんの気合いが響いた。
あの一言で、変身した緑チームは、どんどん勝ち進んだ。
準決勝あたりが、一番きつかった。
ジュースの連続で、二十四対二十三くらいで勝った試合もあった。
終わった後のビールの味が格別であった。
ついに決勝戦まで勝ち進み、墨田区で、優勝してしまった。
現職最後の二年間は、思い出おおき足跡をあなたと一緒に過ごせた。

あの頃の緑の職場は、みんなそれぞれに活躍していた。
単なる動きではなく、躍動していた。
何をするにしても、みんなそれぞれの思いにこだわった。
読書活動を推進してきたT校長は、
毎週朝会に、必ず「心に残る一冊の本」を紹介していた。
教師と子ども達が一体となって、本に接していた。
公開研究では、緑小出身の高木敏子さんが講演された。
「ガラスのウサギ」の作者である。
東京大空襲後は、一度も足を踏み入れなかったこの地に、
講演活動のしめくくりにと、ふるさと緑小を選んだ。
体育館一杯に、在校生代表の五・六年生が座り、
地域や他校の教職員も数多く来てくださり、
体育館は、満杯であった。
新聞社も来てくれて、
一ヶ月後の朝日新聞は夕刊で、大きくそのことを取り上げた。
平和教育も大切にし、三月十日前後は、全校集会がもたれた。
「一郎」君の思い出を、語った戦災孤児のFさん。
二年目の平和集会は、
大空襲の火の海を命がけで逃げ延びた滝保清さん。
NHKの首都圏ニュースにも取り上げられた。
私の定年前の授業は、区の社会科部が計画し、  
職場のみなさんの応援でもり立ててくれた。
六年の「憲法学習」人権を暮らしに活かす公開授業。
講師に、小中学校時代の同級生の神野直彦さんが来てくれた。
行事をやるにしても、日々の授業をするにも、それぞれがみんな輝いていた。
昔は、東京のどこの学校でも、こんな姿が当たり前にあった。
若い先生が、自信を持って語れる職場が、すばらしい。
緑小で過ごした、二年間は、そんな職場であった。

そんなあなたが、中華人民共和国の日本人学校へ飛び立つ。
今や中国は、めざましい経済発展をしたあこがれの国。
日本人の子弟を教育するためにいくのだが、
どうぞこの目で、中国国内を色々と歩き、
十三億人が暮らす民衆の生活をしっかり見てきてほしい。
五年前に岡山さんを誘って、北京、南京、上海などを回った。
オリンピック前で、建築ラッシュで変貌中であった。
富める人と貧しさに苦しんでいる人が、混在していることを実感した。
「一人っ子政策」の矛盾もいくつか出てきている。
文化大革命前の毛沢東は、やはり中国人民の心をつかんでいた。
「矛盾論・実践論」は、行く前に読む価値がある。
「ものの見方・考え方」が、教育の世界につなげる。
三年以上は、行っているのだから、持ち前のがんばり精神で、
中国語も日常会話くらい覚えてきてほしい。
今、日本の教育現場は、混沌としている。
特に東京の教育は、ひどすぎる。
どうぞ、新鮮な気持ちで、あらゆることに挑戦してほしい。
日本に帰る頃は、ビックなニュースを持って帰ってきてほしい。
 2010.3.16 墨田区向島百花園にて

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